夫の父は毎夕仕事を終えると、駅前のパチンコ店で夜を過ごしていた。

 夫の話では「親父はパチンコが大好き」との事だったが、60歳を過ぎて自分の家を持ってからは、全くパチンコ店に行かなくなったが、住宅ローンに追われていたことも有るだろうが、どうやら他の事情で、夜をパチンコ店で過ごしていたのではないかと、思い至ったのである。

 朝鮮人長屋で暮らしていた義父は、自宅で寛ぐスペースがあるわけではなく、寝る時間まで、どこか外で時間をつぶしていたのではないか、という事実だった。

 狭い住居の暮らしは、ただ寝るだけの家だったのである。

 

 在日朝鮮人、韓国人とパチンコ店は密接なつながりがある。経営者や働いている人が、在日朝鮮人、韓国人が多いのである。

 他県に住む母方の遠縁らしい(同じ姓なので、血のつながりは無くても親戚づきあいをしている?)女性の話だが、結婚前は遠くに住む私の母を頼って、下宿しながら紡績工場に働きに来ていたが、結婚後、夫の親族が経営するパチンコ店に夫婦で住み込みで働きに行ったそうであるが、母の話によると「パチンコ屋ってすごく儲かるらしい、何故なら○○ちゃんは何年間か、旦那さんが店のマネージャーをしていて、売り上げをちょろまかしていて、家を建てた」らしかった。

 数年間の売り上げを一部ちょろまかしただけで、家を建てることが出来た、と母が目を丸くして言っていたのを思い出す。数年間の年季奉公を終えて、その後は建てた家で、内職みたいな仕事をしていたそうである。

 

 夫の母方の叔父は、パチンコ店の用心棒をしていて、いつも日本刀を持って歩き、体には刀傷が有った、と夫が話していたのがおかしい。ちなみに夫はすごく大人しく気の弱い人なので、その叔父の血は継いでいないらしいが。

 

 日本の人は、朝鮮人や韓国人はがらが悪く気が荒いと思っているかも知れないが、私に言わせればとんでもない、むしろ気の弱い小心者の方が多いと言いたい。朝鮮語は破裂音と言って発音自体が強いので、言葉はきつく聞こえるかもしれないが、殆どの人は日本社会の底辺で、身を潜めるようにして暮らしていて、”差別にも辛抱強く耐えて生きている”ように見える。

 

 ところで、昨今はパチンコ業界が活気が無いように思える。近隣に有ったパチンコ店が次々と無くなって行っている。

 在日韓国人や朝鮮人がパチンコ業以外の仕事に就けるようになった証しでもあるかもしれないなあ、なんて思ったりもするが、どうだろうか?