昨日近所の婦人と立ち話をしていて、海外旅行の話題になったが、韓国に行ったことが有ると言うと「あの丸とか、記号みたいな字を読めるのね」なんて、のたまう。

 どうやら、彼女は私が在日韓国人だということを知っているようである。

 この地に住んで早や二十数年になるが、まるで伝言ゲームさながらの様に、私が在日韓国人だと知られて行くのには苦笑する。

 「あの人は、実は韓国人なのよ」なんて、私が美人???だという前に、韓国人の誰それよなんて、”定冠詞”が付くのである。

 で、思い出したことが有るが、長く生きていると、真にブログのタネは尽きない⁉

 

 小学四年生から高校一年生まで、私にかまい続けた男の子がいたN君のことだが、4年生の時に同級になったが、いちいち細かいことまで、私に絡んで来る。特に私のテストの結果を気にして、何点取ったか聞きに来るのである。間違った個所の指摘を正したり、時には意見めいたことも言ったりする。何となく、お兄ちゃん気取りである。

 

 その彼は、当時としては珍しく塾に通っていて、父兄参観日には塾の講師が参観に来るので、彼の親は見たことが無かった。私は単純に彼の親が教育熱心で、彼が負けん気で私の成績に拘っているのかと思ったりしていた。

 中学校は、彼は隣市の中学校に越境入学して行ったが、当時は教育熱心な親にはよくある話ではあった。

 中学は別れているのに、彼は時々私の前に現れ、私が中学一年生の時に盲腸の手術をして入院した時には、病院まで来たのには驚いた。短期間の入院なので、彼以外の友達は誰も知らなくて、見舞いに来たのは、N君だけだった。それも二回も来た。

 

 彼は、高校は、校区違いの少し離れた進学校に進んだが、それでも時々出会っている。もうかなり忘れた話だが、記念切手やガラス製の文鎮なんかを貰ったりしている。

 私は馬鹿じゃないから?彼が私を異性としての憧れから近寄ってきてはいないと、漠然とだが察知していたが、ある時母がこう言ったので、謎が解けた

 「N君の家は○○地区出身で、親がN君の事を気にして、そこを引っ越して来た」

 

 なるほど、と合点がいったものだった。その地区を出て、中学はその地区出身者がいるので、避けて隣市へ、高校はもっと離れた所へ行ったのだった。徹底して、その地区の人間に会わないようにしていたのである。その地区は、人が声を潜めて語る場所で、○○地区の子だと、それこそ私に付けるように地区名がその地区出身者の”定冠詞”になっていた。

 

 大学は京都に行き、そこで小学校の教師になったという。

 母は、何故か彼の母親とは知り合いで、それで、私の盲腸入院やどこの高校に進んだのかを、母親を通して、私の情報を得ていたのだった。彼の本当の気持ちは分からないが、私にシンパシーを感じていたのか、それとも私がどんな生き方をしていくのか興味があったのか、今となっては知る由もないが。

 共通しているのは、人格を表す上での、ネガティブだと人が勝手に考える定冠詞が有るということなのか?