今日はイースターである。キリスト教の大事な行事で復活祭、イエスキリストが十字架にかけられて三日目に復活した故事にちなむらしい。

 私はクリスチャンではないし、かといって仏教徒でもない、お正月にはお寺や神社にお参りに行くし、知人の結婚式には教会に行くという、ある意味平均的な日本人の感覚の宗教観かも知れない。

 

 韓国教会から二か所もイースターのお誘いを受けたが、今日はどうしても自宅にいなければならない用事が出来て、どちらにも行けない。カラフルな卵を貰えるし、韓国料理の御馳走が出ることを知っているので、少し寂しいが仕方が無い。

 

 十数年前に、済州島の大きなお寺に行った時の事であるが、賽銭箱に日本の感覚で、コインを入れようとしたところ、ガイドさんに「音のするお金ではなくお札を入れなさい」と言われたので、千ウォンを入れたことが有る。千ウォンと言っても、当時のレートでは日本円で百円位である。

 そのお寺には、小さな可愛い手の平に乗るような仏像が沢山並べられていて、”在日キョッポ”からの寄進で作られたものが多いと聞いた。身体は日本で荼毘に付されても、魂は済州島の故郷に帰って来られるようにということであるらしい。故郷を思う深い念に涙すら浮かぶ想いであった。

 

 それにも増して、キョッポという言葉にも懐かしさを感じたものだった。キョッポと言って、自国外に住む同胞の意味であるが、確かに昔はよく聞いた言葉であった。

 在日韓国人という言い方は、日本風で、私見だが、総連系の人は”キョッポ”とか”トンム”なんてしきりに言っていたような気がするが、私の間違いかも知れない。”リートンム”、李同志なんて呼ぶ人もいて、又それを嫌う、民団系の人がいて、喧嘩になったりしていたのを懐かしく思い出す。一世や二世は、そんな政治的なことに敏感な人が多くて、それこそ口角泡を飛ばして論じるという時代でもあった。

 

 しかし今では、時代が豊かで平和になって、すっかり日本に同化して、静かに暮らしている。我々は過去の遺物扱いで、若い人たちにもう語ることも無いのだ。

 

 ただひたすら、こんな平和な時代が長く続くことを祈るばかりであるのだ!