兄が高校生時代に、ある書店の配達の仕事をしたことが有る。小学校時代からの親友のS君と一緒にしていた。S君は毎日夕方になると、我が家にやって来ていた。

 彼には姉二人、妹一人がいたが、一人息子なので、母親が溺愛していたのは、子供の私でも分かるぐらいだった。既に没落はしていたが、父親の家系は昔からこの地で長く魚関係の仕事をしていて、格式の高い家だったと思う。

 

 母親は、どことなく権高な様子で、周りを睥睨しているような感じだったが、皮肉なことに大事な一人息子は、よりによって、在日韓国人の私の兄と仲良しになるのだ。我が家に来ると男きょうだいは三人もいて、家の中は雑多で、むしろ彼には居心地が良かったらしい。

 恐らく、彼の母は最初は戸惑いと言うかむしろ嫌悪を持っていただろうが、肝心の息子は毎夕兄の元に日参するのだ。堅苦しい家庭より、放任家庭の我が家の方が過ごしやすいらしく、毎夕やって来て、暗くなってもまだいたので、彼が狭い我が家に居るのが、その内当たり前になったぐらいである。彼には兄以外には友達もいないようで、そうかといって、私や二人の弟とは打ち解けずに、ただ兄にだけくっ付いていた。

 

 今思うと、彼の母は葛藤していたのかもしれない。わざわざ在日韓国人家庭の息子と仲良しなんてと思いながらも、他には友達もいない孤独な息子を不憫にも思い、段々我が家を受け入れようとしたのか、ある年の夏に台風被害に遭った時には、見舞いとして、立派な重箱にご馳走を詰めて持って来てくれて、日本人のそういった気配りに驚いたことが有ったりした。

 

 ずーとそんな関係で、高校時代には兄にくっついて始めるといった感じで、一緒にアルバイトをしたのである。高校は別だったが、それでもS君は同年齢ながら、私の兄を自分の兄の様に頼りにしていた。

 私もお兄ちゃんっ子なので、兄のバイト先の書店に出入りしていて、そこの娘さんが私の通う高校の先輩だったので、バイト先の奥さんも愛想よく応対してくれていて、短大に進んだ有る日のことだが「部活で、茶道と華道を始めた」と何気なく話したところ、何故かその奥さんの口元に皮肉な笑いを感じてしまったのである。

 

 在日韓国人として生きていると、不思議と人の心が読める時が有る‼

 

 帰宅して、その話を母にすると「S君のお母さんが、その店に行って、うちは差別なんかする家ではないから、○○さんちの息子さんと付き合わせている、と言ったらしいよ」と言うではないか。

 私は特に茶道も華道も興味はなかったが、同じ高校から進んだ友達に誘われて、学生だから安く習えるというので、始めただけだったが、日本の伝統文化の茶道と華道を韓国人が習うなんてねえ、私はあんたが韓国人だということを知っているんだ、とその書店の奥さんは思わず苦笑という形で出たのだろう。

 S君のお母さんも、息子のことを思えば、兄との付き合いは受け入れないといけないと思いながらも、わざわざ在日韓国人の子供と付き合わなければならないほどの家ではないと、その書店の奥さんに言いたかったのだろう。

 

 それ以降、私はその書店には足を向けてはいないし、その内その店は無くなってしまった。

 S君は大人になっても兄との付き合いは続いていて、私の結婚式どころか新居にもやって来ていて、夫の母は彼と私の仲を疑ったりしていたが、私と彼との間には、男と女の感情なんか微塵もなく、友情も感じないのが不思議である。あくまでも、兄の友達、それだけである。