前回の続きで生い立ちを描きます。長くてすみません。
兄のことはもちろん大好きでしたが、それでも祖母が1番好きだったんです。
祖母>兄
という感じでした。
そして、宮崎の自然は何にも替えられないくらい綺麗だった。
青く澄んだ空、青々しくて新鮮な草原、南の暖かい日差し、私の自然好きはこの影響が大きく作用していると思います。
優しくて世話をしてくれる祖父母、我が子のように相手にしてくれる隣人の女性、遊んでくれる叔母と友達、そばにいてくれる兄、私にとってこれ以上ないくらい毎日幸せでした。もう何もいらないくらいでした。
しかし、その状況は一変。
父親が私たちを引取りに来た。
祖父が「親子は一緒に暮らすべきだ」と言ったから来たらしいけど…ここで父親が私たちを引取りにきていなければ永遠に幸せだったかもしれないのにな。
父親は私と兄と母親を連れて宮崎を出ました。
四国に移りました。
私は当時、急に四国に来ていたという感覚でした。全く覚えていなくて。
祖父母も叔母もいない、知らない、急にやって来た男の人を含めた4人の生活が始まっていた。
私は私立の幼稚園に入園しました。
ただ、教育のレベルが高かったからか私にとってはついて行くのが苦しかった。でも、友達は頭がいい子で、その子がよく助けてくれていました。
宮崎にいた頃からそばに居てくれた兄は、引っ越してからも私に付きっきりでいてくれました。
兄はポケモンにもハマり出して、アニメはもちろんゲームもやり込むようになり、ポケモンパンのシールを家具に貼ったり、ポケモンキッズという指人形を集めたりしました。
兄は、私にもポケモンのゲームをさせてくれて、アニメも一緒に見てくれて、私もみるみるポケモンにハマり始めました。
兄と一緒に色んなグッズを集め始めました。
布団の上にはポケモンのぬいぐるみが何匹か置かれていました。
それに比べて両親は私と兄を放任し、ただ叱るだけといった対応でした。
私は素直に両親の言うことは聞いていました。
でも、ある日兄が私に「夜更かししよう」と言って、寝ようとしていた私を起こしました。
私はお兄ちゃん大好きだったので兄に応えて起きて喋ったりくすぐり合いをしたりしました。
そしたら、私たちの笑い声に気づいたのか父親が私たちの元へ来て怒ったり叩いたりするようになりました。
もちろん、両親の言うことを聞いていれば何もされなかったかもしれない。
でも、両親は祖父母や叔母と違って褒めることも無く構うこともない。
兄はそれに飢えていたのかなぁ、と今となっては思います。
私はただお兄ちゃんに倣って、お兄ちゃんと同じようにしていた。
本来は両親が世話をするのに、両親に代わって私の面倒を見てくれたのはいつだって兄だった。
私はその有難みに全く気づけていなかった。
でも、潜在的に兄が罰せられるなら私も罰せられなければいけないと感じていた。
兄が大事だから、痛み分けしなければいけないと思っていた。
良い悪いではなく、兄が大事だから。
兄と私は両親にとって平等であればいい、そうしていたら兄だけが殴られることはない。
そう本気で思っていました。