ベルギー代表の壁 | un piquillo de amarillo

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リーガ・エスパニョーラのサッカークラブ、ビジャレアルCFの歩みの記録

アルゼンチン対ベルギーはアルゼンチンを応援していましたが、イグアインの美しいシュートが枠を外れたりクルトゥワに防がれていたら、ベルギーが勝っていたんじゃないでしょうか。

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ほとんどのベルギー人はバイリンガルではないが、ヴィルモッツ監督は公用語3言語(オランダ語・フランス語・ドイツ語)プラス1言語を話す。キャプテンのコンパニは5言語を話し、空き時間には経営学を学ぶ知性派である。一方、元キャプテンのフェルメーレンは学校でフランス語・ドイツ語・英語を学んだが、普段はオランダ語しか話さない。

ベルギーの多文化社会の象徴には、コンパニ(父がコンゴ人で母がベルギー人)、デンベレ(父がマリ人で母がベルギー人)、フェライニ(両親がモロッコ人)、ルカク(父がザイール=現DRコンゴ代表)などがいる。ヤヌザイ、デンベレ、ルカク、シャドリ、オリジ、フェライニ、コンパニ、ヴァン・デン・ボーレ、ヴィツェルと、23人中9人はベルギー国外で生まれた親を持っている。

2006年、14歳のアザールは北フランスのリールに加入した。オリジは15歳で、ミララは16歳でリールに移籍している。フェルメーレン、フェルトンゲン、アルデルヴァイレルトは16歳までにオランダのアヤックスでプレーしていた。デンベレ、シャドリも18歳までにオランダのクラブにわたっている。ヤヌザイは16歳でイングランドのマンチェスター・ユナイテッドに加入した。

ベルギー代表の躍進には遺伝の影響も大きい。アザール、オリジ、ルカク、フェライニの父親はプロサッカー選手だった。エリート以外の選手をA代表が掬いあげていることも大きい。ティボー・クルトゥワはU-18世代までは世代別ベルギー代表に招集されていなかった選手である。マルテンスは22歳までベルギー2部でプレーし、アンデルレヒトで出場機会を得られずにヘントに放出された選手である。

コンパニ

参考:
テレグラフ「Vincent Kompany and Co's gifted Belgium are a powerful unified force 」2014年5月31日
ワシントン・ポスト「Can soccer unite the Belgians? 」2014年6月16日
インデペンデント「The myth about Belgium's golden generation 」2014年6月16日

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多文化社会化の進展がベルギー代表の躍進につながっていることはぼんやりと想像できるが、躍進の理由を明確に説明している記事を読んだことがない。今回は期待値と同程度の成績を残せたが、仮にグループリーグ敗退に終わっていたら、「多文化社会化が敗因である」と言われてもおかしくない。ベルギー代表のスタメンは大まかにいってGK/DFがオランダ語圏出身者、MFがフランス語圏出身者、FWがオランダ語圏出身者で、両勢力が均衡し、左右のバランスも良かった。

オランダ語圏のフランデレン地域出身者とフランス語圏のワロン地域出身者の間には、言語の壁というよりも意識の壁が存在するのだと思う。その中で、キャプテンのコンパニがブリュッセル首都圏地域出身かつ公用語3言語のトライリンガルであることは成功に大きく影響しているのだろう。フランデレン地域出身の前キャプテン=フェルメーレン、ワロン地域出身の元キャプテン=ヴァン・ブイテンと比べれば、統率力とかを考慮しなくてもコンパニが率いるのは理にかなっている。良い選手がそろった時期にチーム最高の選手がブリュッセルから生まれて、上位進出にはこれ以上ない大会だったと思うので、ベスト8は満足いく結果ではなかったと思う。

ベルギー代表の壁
(各選手の出身地で色分けした図)