エルチェのモウリーニョがもたらした誇り | un piquillo de amarillo

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リーガ・エスパニョーラのサッカークラブ、ビジャレアルCFの歩みの記録

エスクリバ監督やエルチェに触れたコラムがあったので抄訳。2013年9月、エルチェがプリメーラ参戦開始後まもなくにESPNに掲載された記事。まだスペインのサッカーファンの中でモウリーニョ監督の存在が大きかった頃。

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フラン・エスクリバとジョゼ・モウリーニョは容姿が似ているが、エルチェとレアル・マドリードの歴史にも深いつながりがある。レアル・マドリードの選手・監督・会長だったサンティアゴ・ベルナベウ・ジェステは熱心なエルチェのファンだった。ベルナベウはアリカンテ県アルマンサに生まれ、現役引退後の1927年には、マドリードからアリカンテ近郊の漁村サンタ・ポーラに移り住んだ。サンタ・ポーラにはベルナベウ通りやベルナベウ海岸などが存在する。ベルナベウと同じくレアル・マドリードの伝説的存在であるアルフレッド・ディ・ステファノは、1967年の現役引退後、ベルナベウの後押しもあり、指導者としての第一歩にエルチェを選んだ。

エルチェのホームスタジアムであるエスタディオ・マヌエル・マルティネス・バレーロは、エスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウの小規模なミニチュアである。1976年、マルティネス・バレーロはサンティアゴ・ベルナベウと同じ指針の下で建設され、当時はスペインでもっともモダンなスタジアムのひとつとされた。1982 FIFAワールドカップの会場にも選出され、大会史上最大得点差試合(ハンガリー 10-1 エルサルバドル)の舞台となった。

2012年、エルチェはエスクリバを監督に招聘した。エスクリバはクラブにとって指揮官の第一候補ではなかったが、その優れた人間性でロッカールームに良い雰囲気を形成した。サッカースタイルはモウリーニョのそれに似ており、堅い守備組織からの素早いカウンターを特徴としている。セグンダ優勝クラブとしては得点数(42試合54得点)が少ないが、2003年以降のセグンダで最少の失点数(42試合27失点)を記録した。

エルチェはファンが熱狂的なことでも知られている。2011年のプリメーラ昇格プレーオフでは、アウェーゴール差でグラナダに敗れたが、試合後のスタンドは涙を浮かべる選手たちを称えた。2013年のプリメーラ昇格が決定した試合後には、5,000人以上のファンが遠征用バスを出迎えた。

フラン・エスクリバ


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ESPN FC「The Mourinho of Elche makes Bernabeu's beloved team proud」2013年9月24日
ESPNの仕様変更のせいで再びたどり着けない...