2001年3月1日から4日間、私と友達の国井さん(女性・仮名です)はお互い結婚して初めての友達同士の海外旅行を実現することができた。

安くて、短い休みで行けるとこを第一に探して決定したのが、韓国だった。

 

出発までの数日間、私は興奮しまくりで、毎晩寝床に入っても「ああ、あれ持って行こう。あっちに着いたらまずこれをしよう。あれを買おう」とモンモンと考えてしまい、寝つきは悪いという弊害はあったはものの旅行計画一筋の日々が続いたが、国井さんはというと、仕事に忙殺されて、毎晩遅くまでガムシャラに仕事をし、しまいには旅行前日も会社のつきあいでワインを飲み倒す始末。旅行の用意はドタンバになってようやくしたということらしかった。そんなんで、大丈夫なのか?国井さん!

 

当日、私は普段どおりだんなと子供をそれぞれ送り出し家事を済ませ、約束どおり、10時半に国井さんを車で迎えに行くべく家を出た。外は雨である。

車に乗り込み、「ここで、聞くカーステの曲はこの先一生この韓国旅行を思い出すBGMになるから慎重に選ばねば」と思ったが「まっ、いいか」とそのまま流していたのは「東京プリン」である。私は「♪プロバイダーって何?モデムってどこ♪」などというシケた歌を聴きながら、雨の中、国井さんの住まう団地へと向かった。

そして約束の場所、団地のバスロータリーで国井さんを拾った。

「おはよう!いいお日和で」と雨を身体に受けつつ車に乗り込む国井さんに声をかける。世間はどんより暗い雨だったが私の心は快晴そのものだったのだ。世話のやけるだんなと子供をおっぽらかして、行動制限、時間制限のない、快楽への旅立ちなのだから。

そのまま私の自宅へ帰り車を置いて、駅へ向かった。歩いて15分程度の距離である。雨が小雨になってたのは良かったが、なんといっても荷物が重い。国井さんはだんなさんに「スーツケースを持ってけ」と言われ、当初の予定のスポーツバッグは取りやめて重いスーツケースだったし、私は韓国人の文通相手に送るビデオ3本とCD18枚を小包にした箱をバッグに入れていたので、それ以外は現地で、はき捨てる予定のババシャツババパンツババブラジャーと最低限の荷物にもかかわらず、重いバッグになってしまった。文通相手に送る荷物についてだが、日本から韓国に荷物を送ると、どんなに小さくしても3500円はかかっていたので、これはチャンスと持参にしたのだった。

二人は、興奮しきった夜の獣のように「はぁはぁ、ヒーヒー、むふんむふん」言いながら、重い荷物に負けそうになりながら歩いた。「国井さん、もうすぐやで!」「ああ、私はもう限界かもしんない」「諦めるんじゃない!ほれ、しゃべってればいつのまにか駅に着くからなっ」などと、まるで八甲田山を山越えする兵隊のような会話をしながら、がんばってがんばって歩いた。

そして駅に着き、電車の席に座るとやっと一息つけたのだった。

池袋では成田エクスプレスを待つ間、コーヒーショップに入って時間をつぶすことになった。

「もう旅行は始まっとる。さっ、早速ビデオ撮影開始やで」と私はバッグからビデオカメラを取り出し国井さんに向けたが国井さんは「やっだ~ん。恥ずかし~ん」などと言って、まともにしゃべってくれなかった。そんなことではこの珍道中記録ビデオは完成しないではないか!

成田エクスプレスは空いていた。隣の席にはチャゲアスのチャゲのようなお兄さんが居眠りしていたが、「エリーゼのために」の着メロケータイが鳴り、そのお兄さんはしゃべり出した。私たちは「東北の人よね」と思ったが、よくよく聞いていると「キンポ」だとか「ヨボセヨ」とか聞こえてきたので、「あれは東北弁じゃなくて韓国語だったんだ!」と初めてわかり、韓国語とは東北弁のようなものなのかと漠然と思った。

成田に着き、早速、チケットを搭乗券に変えてもらうべく北ウイングのユナイテッドエアラインの窓口に並んだ。前にはでかいスポーツバッグ二つとまるで剣道着を入れるようなデカ巾着とアルミのアタッシェケースとノートや書類をハダカで持った白人のオジサンがいた。まるでディズニーランドの人気アトラクション待ちのような行列で、列は徐々に進んで行くのだが、白人のオジサンは何やら独り言を言いながら、ズザザザーッと荷物を3回に分けて進めるという作業をしていた。見かねた国井さんが剣道着バッグを運んであげたが、「すっげえ重い。なんだこりゃ」だった。オッサンは「センキュー」と言った。我々だけでなく、そのまた後ろにならんでいた白人のオバサンも見かねて手伝ってあげていた。チケット案内のお姉さんも「ふんぬーっ」ときばりながら手伝っていた。それにしても、なぜ書類がハダカなんだろう?それをバッグに入れておけば、まだ手間が省けただろうに。外人のやることはわからん。そう思った。

チケットに替えた私たちは「機内食が出るかどうかもわからんから、腹ごしらえと行こう」と成田空港内のレストランに入り、私はタラコ&イカスパ、国井さんはナポリタンをそれぞれ食べた。3時半になり「そろそろ行くか」と出国ゲートに行くことにする。

ゲート前で「ちょっと待ったその前に」と私たちはそれぞれカメラとビデオを取り出し撮影タイムである。

二人で写してもらうのに「日本人はどこだ。日本人を探そう」ときょろきょろしたが、目の前に立っていたのは70歳をとうに超えてそうな杖をついたおばあさんだけだった。杖一本でどこへ行くんだ?と不思議がっていたところへ、リュックを背負った若い男の子がきたので、すかさず捕まえ、撮ってもらう。人のよさそうな若者であった。

出国ゲートをくぐったあとは、免税店である。私は特に買うものはなかったが国井さんはランコムのマスカラを買った。「マスカラだけは贅沢しないとダメなのよ~」安物だと時間が経つとタヌキ変身効果があるとのこと。なるほどそうかも。

喫煙場所で時間を潰し、いよいよ、搭乗である。飛行機まではバスだった。国井さんも私も初めての経験である。まるで昔の映画みたいだなあと思った。バスが着き階段を上って飛行機内へ。桂文珍そっくりのスチュワードに迎えられ機内へ入り、親切な国井さんは私に窓際をすすめてくれて私はそれに甘えた。国井さんはいいヤツだよ。

席につくとそこはとてつもなくイカくさかった。「イカくせえ」「誰かスルメ開けやがったな」などとこそこそ言いながら、我慢するしかない。

出発するまでの間、席の前ポケットに入ってた雑誌などを見る。免税商品案内誌では、表紙が、昔キャラメルのオマケについてたような、斜めにすると別の絵が現れる立体写真になっていて、幾何学模様を傾けると飛行機が現れるその表紙を何度も何度も傾けて大喜びして、通りがかったスチュワーデスさんに「これもらっていいんですか?」と尋ねた。あとで良く見たら「ご自由にお持ち下さい」とプリントしてあったのに。こうしてかかなくて良い恥をかいてまんまと立体写真を手に入れたのだった。

そして、飛行機は動き出した。カーブを曲がって直線コースに入るとすげえ加速である。「ひえー、はええー」と言ってるうちにGがかかり「おおおおおお、上がってる、上がってるよ~」この興奮の音声はもちろんビデオに収められた。そして、「安定飛行に入るまで消灯します」のアナウンス。6時の雨天なので、機内は夜そのものになった。そして、雨雲のため、すごく揺れた。エレベーターとジェットコースターの繰り返し現象である。しかもイカくさい。「こんなんがずっと続いたら吐くよ~」とウゲウゲしていた。国井さんは「アメリカの映画でさあ、飛行機の上に雷くんが乗ってるんだよ~。それ主人公のおじさんだけが見えてさ~、騒ぐんだよ。雷くんは必死で羽根を壊そうとしてんのね。で、最後はおじさん発狂して飛行機から飛び降りちゃうんだけどさあ。この飛行機も雷くんがいるみたいだよ~」そんな不吉なことを言い、飛行機ほぼ初心者の私を十分に震え上がらせたころ、雲を突きぬけたようで、下には雲のじゅうたん。向こうには美しい夕焼けと、別世界が現れた。やれやれである。機内ではまずおしぼりが配られた。手を拭き、首を拭き、耳の穴を拭こうとしてたところへもう回収のスチュワーデスさんがやってきて、耳の穴は拭けずじまい。残念である。

それから、軽食が配られた。小さい箱にはローストビーフドッグとクッキーとクラッカーとオレンジジュースとなんとバナナがごろんと入っていた。まずかったけど、「食べなきゃ損だ」と貧乏人根性が働き、なんとか半分は食べた。そして飲み物サービスである。ここでも、「どうせ飲み放題なら!」と私はビール。うまい!ようやく落ち着き、まわりを見る余裕も出てきた。私たちは3人がけの窓から2席だったのだが、通路側の隣にはロン毛のお兄さんが座っていた。国井さんがこそっと「ねえねえ、隣の人

キン、タケジョーとかいう人に似てない?」「キンタケジョー?誰やそれ」「ほら、台湾出身の・・・」「そら、金城武やんけ!」

どれどれと思って見ると、なかなかの男前である。だがいかんせん服がボロい。毛玉だらけのもげもげセーターにジャンパーである。「あれじゃ、男前が台無しだよ」「でも、彼女の手編みかもしれんやん」「あんなアクリル100%そのものじゃ、それはないって」などと勝手なことを囁きあったりした。

国井さんは前日の飲み会でさんざん会社の人に「ダルマ女にならないように」と注意されていた。ダルマ女とは韓国マフィアが日本人女性をだまくらかしてかどわかし、逃げられないように手足を切って見世物小屋に売り飛ばしてしまうことを言うのだそうだ。

私たちは飛行機の中で「ダルマ女にだけはならんようにしよう」と誓いあった。

他には、ケインコスギがサモハンキンポーの家に遊びに行ってあまりの豪邸ぶりにびっくりしたことなどを国井さんは私に教えてくれた。国井さんは「サモハンキンポーって大スターだったのねえ」と言い、私は「そらそやで。ジャッキーチェンの映画かて香港で作った時代のやつはほとんど出てるし、めちゃスターやで」と韓国とはなんの関係もない人の話まで持ち出して、アジアンムードを高めていた。しばらくするとスチュワーデスさんが入国出国カードを配ってくれ、私たちは私の持っていたボールペンで交代で記入した。終わると、隣のキンタケジョー(注・国井さん命名)が「ボールペンを貸して頂けますか?」と言ってきたので、これはチャンスとばかりに厚かましい30女二人は「どこ行かれるんですか?」「韓国は何回目ですか?」などと質問攻めにした。聞くところによると、韓国の友達を尋ねて初めての訪問で、一ヶ月滞在して、自分は日本語を教えて相手からは韓国語を教えてもらうとのこと。話しぶりからしてキンタケジョーならぬ金城武のようないい感じの二枚目で、「いいことを教えてあげましょう。『メクチュハナジュセヨ』を覚えておくといいですよ。ビール一本下さいって意味ですから」彼は私が飲み物サービスの時、「ビールビール」と騒いでいたのをしっかり聞いていたのだ。すると、我々が話した雷くんの恐怖やら、ダルマ女の誓いやら、サモハンキンポーの話やら、国井さんがデブ専であることや、ゴルゴアンシエルの話や、スチュワーデスが綺麗なのは日ごろから人に見られて緊張してるからだ、などと言う話なども筒抜けだったに違いない。まいったねエ。私はその言葉『メクチュハナジュセヨ』を復唱し、メモに書き込みながら「めくそはなくそですな」などと、下品なジョークが頭に浮かんだが、これ以上恥の上塗りはしまいと必死の理性でその言葉を飲み込んだのだった。

しばらくすると眼下には韓国の夜景が広がってきた。「おお、あの光のかたまりがソウル市街に違いない」と騒いでいたが、なんのなんの、それはソウルからかなり離れてた地方で、空港近くの本物のソウル市街はかたまりどころかものすごい光の洪水だった。「おおおおおお、すごいすごい」と言ってるうちにあっと言う間に着陸。私たちはキンタケジョーに「どっかで出会ったら『ワ~』(両手を振ってゼスチャーして)って声かけますね~。でも知らん顔されたりして~」なんて言ったが、彼は二枚目らしく「ふふふ、いいですよ」そして最後に一言「良い旅を」これだけ!「良い旅をなさってくださいね」とかじゃなくて、「良い旅を」で止め。どこまで二枚目なんだ、キンタケジョーよ!

飛行機を降り入国ゲートから出て、真っ先に両替所へ。だが、両替所に行く通路は、何やら関所のようで一般人の私たちがほいと通過していいもんか迷ってしまったので、案内ボックスのようなところに立っていた空港のお姉さんに話し掛けてみた。日本語がまったくダメだったので、英語でも尋ねてみたがこれまたダメだった。そんなんでよく空港に勤められるね。お姉さん。

だが、「うだうだしててもしょうがねえや。行ってみよう」と関所に近づくとスーツを着た関所の番人は予想に反してアッサリ通してくれた。ホッ。

両替を済ませ、トイレと喫煙所はどこかいなと、そのあたりでうろうろしていると、先ほどのキンタケジョーがでっかいギターケースを持って現れた。「ももももしかしてミュージシャンだったのか!そういえば優雅な見のこなしに優雅な口調やったな!」「でも、あの毛玉だらけのアクリルセーターじゃあねえ」と言いつつ、お約束どおり「ワ~」って私たちは両手を振ったのだった。彼は微笑んだだけであった。ごめんよ、キンタケジョー。