10月27日は、母親の命日です

東京に居る時には、月命日には、毎月お寺に行っていました

ところが、清里に引っ越ししてから、行かなくなっていました

お寺は、清里に越す前に住んでいた、東京のお家のすぐ近くです

明日、久しぶりに行ってこようと思っています

1日遅れではありますけれど。。。


我が家は、私の代で終わりなので、お墓は買っていません

なので、お墓参りではなく、納骨堂にお参りします

冷たい石の壁に手を当ると、そこから母の気を感じます

手をあてたまま、胸の中にしまっておいた思いを、いつも聞いてもらっています

明日は、話したい事がいっぱいあります


母は、手術の時の輸血が原因で、慢性肝炎に罹り

何をするのも疲れるようで、”面倒だから”と言うのが口癖でした

当時は理解することが出来ず、批判めいた事を口にしてしまい、後悔しています

その後、長い年月を経て、肝硬変に移行して

肝硬変になってからは、入退院を繰り返していました


そんなある冬の事、主治医に私だけ呼ばれて

肝臓がんに移行して、癌は2個で、かなり大きくなっていますから

夏までには、と最期の時を宣告されました

主治医は、何もしないというので、何かしてほしいと訴えました

先生の“自分の親でも何もしないだろう”と言う言葉を聞いて

残りの時間を、少しでも楽に、楽しく過ごせたらと願う気持ちになれました

それでも、何もしない中でも、何かしないでいられなくて

先生に紹介状を書いて頂き、丸山ワクチンを貰うようになりました

1日置きに看護師さんにいらして頂き、注射をお願いしていました


温泉が大好きな母でしたから、それからは疲れないように気をつけて

車椅子を車に積んで、現地での移動ができるようにして

お部屋に、大きな露天風呂が付いている旅館

お部屋から、湖が目の前に見えるホテル

山の中の、高級旅館

お台場の、ベイブリッジが見えるホテル など

普段は、長く泊らないようなところへ、1週間単位で行きました


毎日テーブルいっぱいのお料理が出てきても

母は、お漬物を口にする位で、ほとんど食べられません

あまりに食べないので、1度”なんで食べないの?”と言ってしまい

”食べたくても食べられないの”と言われ、なんてバカな事を言ったのかと。。。

もっと元気でもっと食べられる時に、連れてくれば良かったと

後悔しても、時間は戻ってくれません


露天風呂では、夜は電気を消して星空を眺めたり

景色の見えるお風呂では、窓の外の夜景を楽しんだり

温泉大好きな母は、とても喜んでくれました

お風呂も長く入ると疲れるのは、判っていましたけれど

それは、もうどうでもいい事でした


注射も、看護師さんが居ないので、私がやらなくてはいけないと

教えて貰うことになりました

初めて注射針を刺す時は怖くて、手を押されてやっと出来ました

何日も続けているうちに、慣れてきて、平気で出来るようになりました


肝臓がんは、脳に毒がまわり、ボケ症状のようになります

我ままになったり、攻撃的になったり、いろいろ判らなくなります

こんな母ではなかったのに、と悲しくなることがいっぱいでした


箱根に泊まった時、湖上祭があって、ホテルのバスで見に行きました

帰りの車中、“楽しかったからまた来年来たいけど、来られるかな?”

と言われて、”また、来年来ようね”と言うのが精一杯でした

流れる涙を悟られまいと、じっと前を向いているしかありませんでした

ロビーで2人で撮って貰った写真が、今でもホテルに保管されているはずです


そんなに早く、逝ってしまうとは思わなくて

安心していた自分が、悔やまれます

もっと元気なうちに、もっといっぱい楽しませてあげたかった


まだ、母が肝臓がんに移行する前に、もっと元気だった時

”あんたといつまで居られるんだろうね“と言った言葉が、忘れられません

きっと、自分の命の終わりは、何となく感じていたのでしょう


何があっても、私を愛してくれた母

何の見返りも求めず、無償の愛をそそいでくれた母

大好きです

居なくなって、その大切さに気付く、愚か者です

たとえ一時でもいい、もう1度会いたい

叶わぬ願いです





長々とお付き合い頂いて、ありがとうございました

長い年月の節目にあたり、この思いを残したく記事にしました


心より感謝を込めて