早いもので,パパの姿が消えてから6年経ってしまいました。
パパの姿を失った瞬間のことを想い出す度,自責の念にかられます。
多分一生,パパの病を早期に気付けなかったことを
後悔し続けるでしょう...パパ「ごめんなさい」。
パパは自由人であったから,
娘である私の自由奔放さを容認してくれていましたね。
自由に生きている分,遠回りしていると感じた或る日。
私はパパに,
「私って何で遠回りばかりして,無駄な時間を費やしているんだろう」
とぼやきましたね。
その時パパは,「人生,無駄なことなんか無いんだよ」,
「いつか役に立っているもんだ」,
「気が付いていないだけなんだよ」って,
私のことを情けないと責めたり,叱咜したりせず,
穏やかに助言してくれた。
自由人のパパならではの気遣いに有難いと想い,
今でも深く感謝しています。
パパ,「ありがとう」。
パパは,私にとって親愛なる父であり,
友であり,唯一のアドバイザーでもあった。
パパと話したりメールが出来なくなって,
とっても寂しく心細いです。
でも,彼の日パパから頂いた言霊を心に深く刻み,
私は前へ進んでいます。
パパの姿は消えても,“ 魂は永遠 ” 。
私はこれからも,パパの御魂に語りかけていきます。
パパも,ちゃんと聞いていてくださいね。
必ず又どこかで,パパの娘として会いたい。必ず。
パパ,
慈しみ育ててくださり
「ありがとう」。
親愛なる父
あなたへ20012年 夏
娘より
(記 7月30日 同日早朝投函)