米国音叉療法チューニングフォークセラピー®国際認定セラピストのみどりーぬです(* ̄∇ ̄*)


  ネイティブ・アメリカンは女性でもなく男性でもない魂を持つ人々を「ベルダーシュ(※)」と呼び、全き完全な存在、男や女より優れた神に近い存在と見なし ていた。部族によっては男性から女性に性転換したベルダーシュを第三の性、女性から男性に性転換したベルダーシュを第四の性とみなして、彼らにふさわしい 生き方を認めていた。

※「ベルダーシュ」はフランス語、英語では「Two-Spirit」と呼ばれます。
男性と女性の2つの心をもつという意味です。

  現代人は「性」に対し偏見や差別の目を持つように刷り込まれている。私は世界を牛耳るあの宗教が推奨する「一夫一婦制度」を取り入れることによって、縛り ができ、より世界観が狭くなり、差別や偏見が酷くなったのではないか?とも感じてる。(フリーセックスを推奨しているわけではありません)

何にも囚われず、子供も、大人も、年寄りも、ベルダーシュもみんなそれぞれ素晴らしいと受けれる大きな器。あるがままを活かす彼らの自由な発想がとても心地良い。

自然と共存するネイティブ・アメリカンの叡智は素晴らしいね♡

思い起こせば若かりし頃、私はベルダーシュ(ゲイ&おかまちゃん達)としょっちゅう遊んでいた。同性や異性と遊ぶよりも楽しいし、何よりも彼ら独特の世界観、新しいものを生み出す思考力、才能あふれる感性、話し言葉がたまらなく好きだった♡ 

「何?この人たちめちゃくちゃオモロイやん♫」と思える規格外の人々とのお付き合いをきっかけに

普通って一体なんなのさ?
基準って一体どこのどいつが決めたんだ?
一般常識は誰が決めたんや?と

戦後の洗脳教育を受けた第一世代の両親をはじめとし、お堅く、面白みのない人たちに意見するようになった。基準を絶対に外さない大人から見れば、生意気でいけすかんガキンチョだと思われてたに違いない。

ま、若い時ほど過激ではありませんが、今もやんわりと基本この精神(スピリット)で生き続けてます( ̄w ̄)プププ

自分の理解の範疇を超えたものを頑なに拒絶する人。
自分の知らないことをどんどん体感し自分に取り入れ楽しみ活かす人。

人それぞれ価値観が違うからどんな風に生きようが個人の自由だけど、エネルギー的に考えると後者のが圧倒的に流れも良く、現象がどんどん起こり、人とのコミュニケーションから循環が生まれ、新たな学び、無形の財産を築き未来へと繋がる。

頑なに拒絶する「恐れのエネルギー」ばかり使ってたら自分を喜ばすことも、人を喜ばすこともできず、循環もストップしてしまう。

循環を止めたら地球上全ての生命体のためにならん!!
もっとエネルギー回さんかい!!とまで思う私(笑)

あなたが想像するより世界は面白い人々や出来事だらけ♫
しょーもない基準なんかとっとと捨てて早く自由になりなはれ!!


<画像はズーニー族の「ベルダーシュ」 ウィーハさん>

http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2015-03-23-2
(↓上記サイトより引用させていただきました)
ウィーハは女性の仕事である糸紡ぎや機織りが得意だったようですが、それだけではなく、精神的にも肉体的にもいちばん強く、部族の男女双方から尊敬され、1896年に亡くなったとき、部族の人たちの嘆きはとても大きかったと伝わっています。
  「ベルダーシュ」が男女二つの能力を兼ね備えた双性、ダブル・ジェンダーとしての強いパワーをもっていたことがわかります。性別越境者が社会的弱者ではな く、社会の中でしっかり役割を果たし、プライドをもって生き、周囲の人たちから尊敬されていた社会があったということ、当事者の方たちには、ぜひ記憶にと どめていただきたいと思います。そこで、会場にいらっしゃる皆さん、とりわけ精神科の先生たちに問いかけたいと思います。ウィーハという人、精神疾患です か? 性同一性障害、あるいは性別違和ですか? DSM5の性別違和の診断基準に当てはまるかもしれませんが、もしそうだとしたら、やはり間違っていま す。
社会の中でプライドをもって役割を果たし、周囲の人々に敬愛されていた人が精神疾患と言うのなら、それはその概念、システムが間違っていると私は思います。
やはり「性別を越えて生きることは『病』ではない」ということです。