新START、年内批准は困難=米共和有力議員が表明

【ワシントン時事】カイル米上院議員(共和)は16日の声明で、オバマ政権が強く求めている米ロ核軍縮条約「新START」の年内批准は困難との見解を表明した。カイル議員は、米ロの戦略核弾頭配備数をそれぞれ1550発に制限する新STARTの批准に向けたオバマ政権との協議で主導的役割を果たしてきた。
同議員は、新STARTに関連する問題や核戦力近代化をめぐり、懸念が解消されていないとして、年内の批准は困難との考えを民主党のリード上院院内総務に伝えたことを明らかにした。
一方、バイデン副大統領は同日の声明で、「新STARTを年内に批准できなければ、国家安全保障を脅かすことになる」と強い懸念を表明。オバマ大統領は、共和党が求めている核戦力・施設の近代化計画を策定したとして、改めて年内の批准を要請した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101117-00000043-jij-int


新STARTとは 

戦略兵器削減条約 ( Strategic Arms Reduction Treaty )

Strategic:戦略的

Arms:武器・兵器

Reduction:削減・縮小

Treaty:条約

新が付いているのは、すでに1991年にアメリカ合衆国と旧ソビエト連邦(現ロシア)との間で、

START I が、結ばれているから。

今回、批准が危ぶまれているのは、

2010年4 月にアメリカ合衆国政府とロシア政府が署名した START IV


これまでも、米ロ両国政府間でミサイル防衛について合意できていない部分があり、

批准が拒否・破棄されることもあった。


ちなみに、批准とは、当事国における最終的な確認・同意の手続き。


余談だが、中国の戦略核弾頭数は急増、米口を超える可能性も指摘されている。

オバマ政権は、今年、中国と核問題に関する対話を模索する方針を示したが、

交渉に応じる可能性は低いようです。

中国軍事専門家のリチャード・フィッシャー氏は、16日付のワシントン・タイムズ紙で、

「中国は地球規模のパワーを手に入れるまで、自らの核計画を制限、

あるいは他国に情報を提供する交渉には関心を示さない」と述べています。


戦略兵器削減交渉
大国のエゴに翻弄され続けたアイヌの民の悲劇

生まれ育った土地を半ば強制的に移住させられ、

帰りたくても帰れない。

ただ海の向こうに見える島影を眺めることしかできない。


彼らの悲劇は、それにとどまらない。

明治以降、

和人(日本人)との交わりが深くなればなるほど、

和人のアイヌ差別が激しさを増してくる。

特に、風習や、文化的・生活レベルの違いからだと思うが、

アイヌの民は、自らを劣った人種だと思い込むようになっていった。

「そう思い込まされた」と言ったほうが正しいかもしれない。

結果、和人と結婚することで、子孫の「アイヌの血を薄めよう

と考えるアイヌの民が非常に多くなってしまった。

このような和人への同化が進む中で、彼らは、

自分達が「アイヌの民であることを隠して生きて行こう

とするようになります。


想像してほしい。

自分が「日本人の血を薄めよう」と考えるなら、どれほど心が葛藤するかを

想像してほしい。

自分が「日本人であることを隠して生きて行こう」とするなら、どんな気持ちになるのかを


「北方領土は誰のものか」と叫ぶ前に、

思い出してほしい。

アイヌの民の悲しい歴史があったことを。

思い出してほしい。

アイヌの民は、今も苦しんでいるということを。



日ロ両政府の「領土交渉」に、アイヌの声は届いているのか?

国益を叫ぶ声に、かき消されてはいないだろうか?
北方領土は「ロシア領」=日ロ首脳会談で大統領表明

【モスクワ時事】ロシアのラブロフ外相は13日、日ロ首脳会談で菅直人首相がメドベージェフ大統領の国後島訪問に遺憾の意を表明したのに対し、大統領が「これはわれわれの領土であり、将来もそうあり続ける」と表明したことを明らかにした。インタファクス通信が伝えた。
大統領は、菅首相に対し、極東を含むロシアへの訪問を招請したという。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101113-00000103-jij-int


北方領土は元々、日本人のものでもなければ、ロシア人のものでもなかった。

アイヌの民が狩猟・採取をして、穏やかな暮らしをしていた土地だった。


18世紀の後半になると、ロシア人が千島から南下し、

蝦夷地(北海道)に出没することが目立つようになってきました。

それに備えてる形で、北海道に「松前奉行」が置かれ、

警備に当たるようになります。

1779年 ロシアが蝦夷地の松前藩に通商を要求

1792年 ロシア使節ラスクマンが根室に来航 通商を要求

当時、鎖国中だった日本は、これを拒否。

ロシア人の南下に対して危機感を抱いた幕府は、

1808年、伊能忠敬の弟子である間宮林蔵に北方の調査を命じます。

彼は蝦夷地(北海道)から樺太、さらに間宮海峡を渡って黒竜江下流を調査。

当時は、清国の人間も多く暮らしており、ロシア政府による支配は十分なものではありませんでした。


このロシアの南下政策は、やがて日露戦争へとつながって行きます。