Gilberto Gil(ジルベルト・ジル)の来日を記念して、今回も彼の代表作を取り上げます。
1969年7月に発表されたAquele Abraçoです。

今回の来日ツアーの名称もAquele Abraço Japan Tour 2024。
Aquele Abraçoとは、「あの抱擁」と言う意味です。

ブラジルでは1964年4月に軍事クーデターが発生、1968年12月にはAto Institucional nº 5(AI-5)と呼ばれる市民の思想の自由を奪う法律が公布されました。
その直後に行われたショーの内容が、この法律に抵触するものとして、ジルベルト・ジルはカエターノ・ヴェローゾと共に逮捕・勾留され、翌年2/19になって釈放されました。この日はカーニバルが終了した翌日、カトリックでは灰の水曜日に当たる日でした。
ジルとカエターノは自宅のあるバイーア州の州都サルバドールに戻りましたが、そこでは自宅軟禁となりました。
彼らは軍事政権との話し合いを持ち、ブラジルを離れること(事実上の国外追放)となりましたが、そのために渡航資金が必要でした。
1969年の7月20日と21日、ジルとカエターノはサルバドールのカステロ・アウベス劇場で資金集めのためのコンサートを行い、そこでジルは初めてAquele Abraçoを歌ったのです。
このコンサートからほどなくして、2人はロンドンへ亡命しました。

それから47年の時が流れ、2016年にはリオデジャネイロで南米初のオリンピックが開催されました。
そのテーマ曲として選ばれたのは、この曲Aquele Abraçoだったのです。
Aquele abraçoは前述のように「あの抱擁」と言う意味ですが、「ハグしよう!」と訳しております。

このサンバを、ドリヴァル・カイミ、ジョアン・ジルベルト、カエターノ・ヴェローゾ(注1)に捧げよう!
さあ!

リオデジャネイロは
相変わらず美しい
リオデジャネイロは
1月から2月、3月へと続く(注2)

ハロー、ハロー、ヘアレンゴ(注3)
ハグしよう!
ハロー、ハロー、フラメンゴファン(注4)
ハグしよう!

シャクリーニャは(注5)
お腹を震わせ続け
女の子にクラクションを鳴らし
群衆に指図し
地球上で命令を出し続ける

ハロー、ハロー、シャクリーニャ
年老いた老戦士
ハロー、ハロー、テレジーニャ(注6)
リオデジャネイロ
ハロー、ハロー、シャクリーニャ
年老いたピエロ
ハロー、ハロー、テレジーニャ
ハグしよう!

ハロー、ファベーラ(注7)の女の子、ハグしよう!
ポルテーラの皆さん、ハグしよう!
毎年2月には、ステップを踏む
ハロー、バンダ・ジ・イパネマ(注8)、ハグしよう!

世界に続く僕の道を
僕自身で辿る
バイーアは僕に
ものさしとコンパスをくれた
僕を知っているのは僕だけ
ハグしよう!
僕を忘れた君へ
ハグしよう!

ハロー、リオデジャネイロ、ハグしよう!
ブラジル国民の皆さん、ハグしよう!

ハロー、リオデジャネイロ
みんな、ハグしよう!
ブラジル国民の皆さん、ハグしよう!

毎年2月には(ハグしよう!)
ハロー、ファベーラの女の子(ハグしよう!)
ポルテーラ(注9)の皆さん
サルゲイロの皆さん
そしてリオデジャネイロの皆さん(ハグしよう!)
そして毎年2月に、ブラジル国民全員で
ハグしよう!

ハロー、僕のネガサンバ(注10)(ハグしよう!)
ハロー、ハロー、ポップコーン(ハグしよう!)
リオデジャネイロのみんな、ハグしよう!
そしてブラジル国民の皆さん
ブラジル国民の皆さん
ブラジル国民の皆さん
ブラジル国民の皆さん
ブラジル国民の皆さん

(ハグしよう!)
(ハグしよう!)
(ハグしよう!)
(ハグしよう!)
(ハグしよう!)


(注1)ドリヴァル・カイミ、ジョアン・ジルベルト、カエターノ・ヴェローゾはいずれもジルベルト・ジルと同じ、バイーア州の出身のミュージシャン。
(注2)Rio de JaneiroのRioは川、Janeiroは1月を表す。2月にはカーニバルが開かれる。
(注3)Realengoはジルが投獄されていた場所の地名。
(注4)Flamengoはリオデジャネイロにあるサッカーチーム
(注5)Chacrinha(シャクリーニャ)はこの曲が作られた当時人気だったコメディアン。1988年に逝去している。
(注6)Terezinha(テレジーニャ)はTereza(女性名)の縮小辞で、親しみを込めて呼ぶもの
(注7)ファベーラは低所得者の人々が住む地域
(注8)Banda de IpanemaはBloco de carnavalesco(カーニバルの本番前にパレードするグループ)の一つとして、最も知られている。
(注9) PortelaもSalgueiroもリオデジャネイロのサンバスクールの名称
(注10)Nega-sambaは、ジルの造語と思われる。nego/negaとは元々は肌の色の黒い人をさすが、今は親しい間柄での呼びかけに使われる。ブラジル人の多くはアフリカの血を引くため、否定的な意味はない。
なお、Gilの出身地であるバイーア州は特にアフリカ系の肌の黒い人が多く、Gil自身もその一人。

最初に1969年にリリースされたGilberto Gilのアルバムから。


Elis Reginaが同じ年に行われたライブで歌ったAquele Abraço。Elisは多くのアーティストが国外に逃れる中、ブラジル国内に留まり、軍事政権に屈せずに歌い続けました。

軍事政権も、国民に絶大な人気を誇った彼女に手出しをすることはなかなかできなかったのです。



Tim Maia(チン・マイア)の歌。彼はブラジル音楽とアメリカのソウルを融合させるなど、マルチタレントなミュージシャンでした。



こちらは2012年のロンドンオリンピックの閉会式で、次期五輪の開催国のプロモーションとして、Marisa Monte(マリーザ・モンチ)とSeu Jorge(セウ・ジョルジ)が歌ったもの。
あのサッカーの王様ペレも登場します。



こちらは2016年のリオデジャネイロ五輪の開会式で放映された映像で、歌っているのはGil自身です。
やだ、またブラジルに行きたくなっちゃうじゃないの。


★ポルトガル語の歌詞とコード進行はこちらをご覧ください。
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※毎週日曜日に掲載しますが、来週は夏休みで海外に行くため、お休みします。(行き先は残念ながらブラジルではありません。)
次回は7/28に掲載しますね。