今日ご紹介するのは、1951年にLuiz Antonio、Oldemar Magalhães、Zé Marioによって作られたサンバのMarchinha(行進曲)の一つ、Sassaricando(ササリカンド)です。

ブラジルの中央統計局(Escritório Central de Arrecadação e Distribuçai, Ecad)の調査によれば、この曲は2010年から2020年までの10年間のカーニバル期間中に演奏された曲の18位にランキングされています。


Sassaricandoは当時”Vedete do Brasil”(ブラジルのスター)と呼ばれ、絶大な人気を誇ったVirgínia Lane(ヴィルジニア・ラニ)の舞台で歌われた曲の一つでした。


音楽劇場プロデューサーのValter Pintoは、Luiz AntônioとJota Júnior(別名Zé Mário)に、Virgínia主演の”Jabaculê de Penacho”と題した劇のために曲を書いてほしいと頼み、書かれた曲の一つがSassaricandoでした。
Sassaricar(動詞の原形)と言う不思議な響きの言葉は、劇中に登場する絵画”Dança de Sassarico”(ササリコの踊り)に由来する造語でした。
この曲が大ヒットしたため、Sassaricarは、その音が含蓄する若干の淫靡さや悪どさを秘めた「身体をゆすって踊り、歩き、楽しむ」と言う意味を持つ言葉として定着したのです。

Virgínia Lane は生涯で37の映画に出演しており、Sassaricandoはカメオ出演した1952年の映画”Tudo Azul”の中の劇中歌として歌われています。
この曲は、1987年にはTV Globoの連続テレビドラマ”Sassaricando”のテーマ曲としてRita Lee(ヒタ・リー)が歌い、2007年にはミュージカル”Sassaricando”にも採用されました。

なお、Virgínia Laneは、当時の大統領であったGetúlio Vargas(ジェトゥリオ・ヴァルガス)と10年ほど愛人関係にあったと噂されており、彼女に”Vedete do Brasil”のタイトルを与えたのも彼でした。
後年、彼女はそのことを認め、「彼のお腹は邪魔だったけど、いつも水平方向に解決した」と述べています(笑)
Getúlio Vargasは公式には1954年8月に自殺したことになっていますが、Virgínia Laneは、彼が亡くなった日はベッドを共にしており、殺されるのを目撃したと主張していました。

Virgínia Laneは1954年と1970年の2回結婚しており、2回目の結婚では養女を迎えています。
1998年まで映画に出演し、2014年に98歳で逝去しています。

ちょっと前置きが長すぎましたが、歌詞の内容をご紹介します。
無理に訳すと歌詞の持つ深い意味が失われるので、ササリカンド(動名詞)、ササリコ(名詞)、ササリカ(動詞の三人称形)、ササリカール(動詞の原形)はそのままにしています。

ササリカンド
誰もが人生は綱渡り
ササリカンド
若者も、未亡人も、マダムも
コロンボの入り口にいる老人も
驚くことに
みんなササリカンドしている

ササリコを知らないひとは
ひとりでササリカすればいい
ササリカールして楽しまなければ
人生は難問だらけ

ちなみに、歌詞に登場するコロンボとは、リオデジャネイロにある1894年にオープンしたConfeitaria Colomboのことで、私も行ったことがある現存のお店です。
この歌が作られた1951年当時は、そのコロンボの入り口に露出狂の老人が現れると評判だったようですね。
今はもちろんいませんけど。



こちらの動画は、1952年の映画Tudo Azulで、歌っているのはVirgínia Laneです。


こちらは音質改善版。



1987年のテレビドラマ”Sassaricando”に採用されたRita Leeの歌。



往年の歌手、Jorge Veigaが1962年のカーニバルで歌ったSassaricando。



プエルトリコの歌手、Bobby Capóはスペイン語で歌っています。



こちらはミュージカル”Sassaricando”を紹介する番組の一コマで、メドレーの一部にSassaricandoが登場します。



★ポルトガル語の歌詞とコード進行はこちらをご覧ください。
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※毎週日曜日に掲載します。
次回は4/7です。