先週の日曜日のお昼時、たまたま確定申告の準備で自宅にいたので、調布FM(83.8MHz)でTOYONO moda brasilを聴いていました。

お友達のブラジル音楽シンガーTOYONOちゃんが、ブラジル音楽を紹介する番組です。

※調布FMはリスラジからリアルタイムで聴くことが可能です。


この日は著名な動物学者でサンパウロ大学動物学博物館の館長を長年務める傍ら作曲活動を行い、数々の名曲を遺したPaulo Vanzolini(パウロ・ヴァンゾリーニ)の特集でした。

実はこの日の放送を聴くまで、私はPaulo Vanzoliniのことは全く知らなかったのです。
Volta por Cimaは、曲名だけは知っていましたが。

彼は、Adoniran Barbosaと共に、サンパウロを代表する作曲家で、サンパウロを舞台としたたくさんの作品を創作しました。
Adoniran Barbosaとは、お互いを称賛し合う良好な関係を築いていたそうです。

今日はTOYONO moda brasilで紹介されたPaulo Vanzolini曲の中から、Praça Clóvisを選んでみました。

Praça Clóvis(クロヴィス広場)は、サンパウロの中心部にある広場の名前で、市の景観整備プロジェクトにより、現在はそのほとんどがPraça da Séに取り込まれました。

サンバは元来、日常のエピソードを歌ったもので、Praça Clóvisでの出来事を歌ったこの短い曲はその典型です。
そのエピソードが個人的に刺さってしまったのが、今回ご紹介する理由です。

クロヴィス広場で
財布をすられた
その中には25クルゼイロ(注1)
君の写真が入っていた
25クルゼイロ

正直言って
人生の遅れを取り戻すには
お安いもんだ

写真を破り捨てるべきだったのに
それができなかった


その写真のまなざしは
僕の心を傷つけ、苦しめた
ある日、広場の人混みの中に
スリがやって来た
25クルゼイロ

正直、ただみたいなもんだった

(注1) : Cruzairo(クルゼイロ)は1994年に通貨がReal(レアル)に変わる前の通貨単位。

Paulo Vanzoliniは、クロヴィス広場にスリが多いと聴いて、この曲を作ったと伝えられています。

私もブラジル人の元カレからもらった写真を定期入れに入れて持ち歩いていたことがありました。
スリには遭ってないので、あの写真はまだどこかにあるはずです。

こちらは、2012年3月にPaulo Vanzoliniが奥様のAna Bernardo(アナ・ベルナルド)と共演した際の貴重な動画。画面は少しぶれますが、音質はまあまあです。この翌年、彼は89歳で亡くなっています。


Nara Leão(ナラ・レオン)の1978年のライブ録音。
ボサノヴァのミューズと呼ばれた彼女ですが、サンバもうまいですね。


Chico Buarque(シコ・ブアルキ)の歌。
この曲は1967年にリリースされたPaulo Vanzoliniのアルバム”Onze Bambas e Uma Capoeira”に収録されています。


サンパウロのサンバグループ、Demônios da Garoa(デモニオス・ダ・ガロア)。霧雨の悪魔と言うユニークな名前は、サンパウロ名物の霧雨(ガロア)に由来します。
Paulo Vanzoliniの妻Anaのお父さんArtur Bernardoは、Demônios da Garoaのメンバーだったことがあります。


聴くたびに元気をもらえるBeth Carvalhoの歌。
彼女はMadrinha do Samba(サンバの代母)と呼ばれ、逝去した後も多くの人に慕われています。
この曲は1993年にリリースされたサンパウロのサンバを特集したアルバム”Beth Carvalho Canta o Samba de São Paulo”に収録されています。