そういえば以前に神社で体験した

怖かった出来事について

書いておこうと思います。


 

私はお賽銭やおみくじなど

神社で使う用に100円と500円玉を

使わずに集めています。

 

たくさん用意しても一日に数社へ伺うと、

最後の神社では小銭がなくなることも

たま〜にあったり。

そんな時は社務所で崩していただいたり

途中のコンビニで何か買ったりして

対処していました。

 

 

こちらの神社はその日最後の参拝で

小銭入れには数枚の100円玉が

残っていました。


本社にご挨拶を差し上げてから

何社かあった境内社を巡ってご挨拶、

拝殿前に戻ってきて

100円のおみくじを引きました。

おみくじはできるだけ最後の神社で

いただくようにしていました。

 

おみくじを引いた後で、

ふと社務所があいていたことに

気づきました。

 

中を見ると女性がふたり。

人がいらっしゃるならせっかくなので

ご朱印もらえたらいいなと思って

「ご朱印はいただけますか?」

とお聞きしました。

 

コロナ禍になった時期は

ほとんどの神社さんが

書き置き対応をされていたので

どこの神社でもお尋ねするように

していました。

 

やっているとのお返事だったので、

「では書き置きで1枚いただけますか?」

と声をかけますと、

窓口の女性(仮にA)の顔色が変わって、

「書き置きはやっていません!

 朱印帳は持ってないの⁉︎」

と強い口調で聞かれました。

 

「すみません、持ってきてなくて……」

 と答えると、

「なんで持ってこないの⁉︎ 

 書き置きはないんだから‼︎」

とAさんの声が強く鋭くなりました。

とても怒っているようでした。


なぜ怒っているのかわからず、

「あ、そうですか……。それならいいです」

と窓口を離れようとすると、

奥に座っていた女性(仮にBさん)が

窓口へ歩いてきました。


Bさんは腕を胸の前で組み、

仁王立ちで私を見下ろして

静かな声で言いました。

「どっから来たの? 近所?」

「千葉県から来ました」

「……近所ならまたこいって言うんだけどね。

 また来る?」

「少し遠いので、何かの機会があれば……」

「……」

沈黙が少しあって、BさんがAさんに

「いいんじゃない、あげれば」

と言いました。

 

おふたりの怒りの感情? が

尖っていて突き刺さるようで

その攻撃的なエネルギーが怖くて、

「あ、あの、なければ

ご朱印はけっこうですので……」

と声をかけましたがAさんは黙って

手前に置かれていた小箱の蓋を開けて

書き置きのご朱印を1枚取り出しました。

 

え?

 

あったんだ……?

 

びっくりして見ていると、

Aさんに300円、と言われ

慌てて小銭入れを見ると

200円しか残っていません……。

おみくじを引かなければよかった……と

後悔しました。

 

あと100円足りず、

一番小さな数のお札、千円札を持って、

「すみません、200円しか小銭が

残っていなくて……、千円札ですが

大丈夫でしょうか?」

とAさんに尋ねました。

 

すると、

「釣り銭ないから!

 なんで小銭を持ってこないの!?」

と睨まれました。

本当にものすごい形相で、

「神社に来るなら小銭持ってくるのは

当たり前でしょ⁉︎

 非常識だよ、あんた!」

と怒鳴られました。

私はさらに恐怖を感じて、

「すみません、たくさん持ってきてた

のですが、さっきおみくじを引いて

しまって100円足りなくて……、

200円しか小銭がなくて……。

ご朱印はもういいので……」と

慌てて言いましたが、

「今、日付入れてるでしょ!!」と──。

 

……確かに……Bさんが奥の座敷に座って

書き置きのご朱印に日付を書き入れて

くださっているようです。

断るにはすでに遅かりし、でした。

 

置いてあったお守りか何かを

一緒に購入すればいいことも

わかっていたのですが、

神様には大変申し訳ないけれど、

敵意のような、攻撃的な怒りの感情を

ぶつけてくる神社で、

小銭をつくるために何かを買って

家に持ち帰りたくないな……、

という思いのほうが

強くなっていました。

本当に恐ろしかったです。

 

「では、千円受け取っていただいて。

 お釣りは要りませんので……」

千円札を差し出してお伝えしていると、

Bさんが書き置きを持って

窓口に戻ってきました。

 

ふたりは後ろを向いて何か話しはじめ、

Aさんは前とは別の小さな箱を

下から取り出して蓋を開けました。

100円玉や500円玉が入っていました。

 

え…………

 

あったんだ…………

 

Aさんはお釣りと書き置きのご朱印を

私にくれました。

 

いったい、

これはどういうことなんだろう…………。

 

気持ち的にはもう

ご朱印も持って帰りたくない

気持ちになっていましたが、

受け取らないのは失礼ですし、

〝ご朱印〟は悪くありません。

 

Bさんは仁王立ちで腕を組み

私を見下ろして言いました。

「うちは書き置きやってないんだから。

ずっと直書きなんだから」

Aさんも見ています。

とにかく、その圧や表情が怖くて、

「ありがとうございました……申し訳ありませんでした」

お礼をお伝えして受け取り、

急がないように、慌てないように、

そうっと普通に、社務所を離れました。

 

 

拝殿でお礼を差し上げて、

そうっと神社を後にしたのでした。


 



その日はこの神社が最後の予定でしたが

なんていうか、

空恐ろしい気持ちを抱いたまま

運転して帰るのは避けたくなって、

時刻も夕暮れが近づいていましたが、

少し離れたところに鎮座されていた

一言主神社さんに伺うことにしました。

 


 

この日記でも書いたのですが

一言主神社さんでかけていただいた言葉に

本当に救われました。

負の鎖が解けたような、そんな感じ😌

気遣いや配慮、相手への思いやりは

当たり前ではないんだなあと

しみじみと感じた出来事でした。

 

ただ不機嫌な態度だった、

ということだけなら

恐怖は感じなかったのかな?

と思います。

 

なぜか最初からおふたりは怒っていて、

まるで敵に対するような

攻撃的な怒りと冷酷さ、

そして暴力的な? 圧力といった

負のエネルギーをいっぱい放って、

鋭い何かで刺してきた……。

 

恐ろしかったです。

怖かった。

向けられた感情の

理由がわかりませんでした。

神社で何か、

書き置きと小銭がなかったこと以外に

私は何かをしてしまっていた?

思い返してもわかりませんでした。


この恐ろしい体験は、

今もかなりトラウマになっていて

社務所の中の方に声をかけるのに

勇気が必要になりました。

 

 

ただ、引いたおみくじは

〝吉〟と〝大吉〟でした。

神様は怒っているわけではなく

一言主神社では特に

励ましてくれたように

感じたのでした……。

 

人間は怖いです。

左右されないように注意が必要。

 

私の対応がおふたりの

気に障ったのかも知れず、

私が行く前に何かがあって

怒りが鬱積していたのかも知れず、

そこはわかりません。

 

 

神社にも神様にも罪はありませんが

でも……波長の法則ならば、

神社もその神職さんも私も

ちょうど波長が合ったのかもしれません。

〝間〟にも気をつけないと。

 


2時間の帰宅ドライブの間、

魔に噛みつかれたような気持ちで

とにかく「怖かった!」と身に染みつつ、

いろんなことを考えて、

精神世界的にも

物質的にも(小銭はきらさないように)

注意しよう! と言い聞かせたのでした。

 

本当に怖かった……。

 

 

……いただいたご朱印は

塩で清めたのちに朱印帳に貼りました。