す鹿島神宮の元宮とも言われているのが
こちら、大生神社さん。
現在では舗装されている通りの道も、
昔は参道だったのではと感じました。
社殿は左右に木々が深く生い茂る道の
森の奥にありました。
↑ 鳥居前は三叉路になっていて
真ん中が神社への入り口。
鳥居前のこの木🌳は道のキワにあるので
切られずに残されていることに
とてもホッとしました。
残してくださってありがとう。
時々地元の方らしい車が通るだけの
とても静かなところでした。
ご挨拶をしてから鳥居をくぐります。
鎮座されているのは鹿島神宮の反対側、
北浦を挟んだ潮来市です。
丘陵地になっているのかな?
神社のあるこの辺は深い森が
広がっていましたが、
周辺は畑が多かったです。
拝殿。
小さめではありますが
立派なしっかりした造りの社殿でした😊
こんなにしんとした静かな森の中に、
敷地の広い神社があることに少しびっくり。
昔は周囲にたくさんの人が暮らして
賑やかだったのかもしれません。
拝殿でもう一度ご挨拶を差し上げます。
参拝させていただきありがとうございます、
写真を撮らせていただきます、
お願い事はありません、
ここに無事に辿り着けたことに感謝です、
そうお伝えして。
ご挨拶の内容はどこの神社でも
基本的には同じです〜😊
本殿。
本殿真裏から。
ちょうど太陽が真向かいにありました🌞
板塀の隙間から
本殿を一枚撮らせていただきました✨
綺麗に保存されています。
退色してしまっていましたが
昔の本殿は朱色で彩色されていたようで、
さぞかし緑に鮮やかに映えたでしょう。
神様は鹿島神宮と同じ、
健御雷之男神が祀られています。
神社の起こりは飯富族という一族が
大和国からこの地に移住し、
氏神を祀ったことから始まったのでは、と
調べたら書かれていました。
飯富族→多氏ともいい、
神楽などを得意としていたそうです。
それと関係あるのかないのか、
7歳から13歳までの選ばれた
村の少女たちの巫女舞が
昔から伝わっているとのことでした。
それにしてもはるばる大和から
この入り組んだ土地にやってきたのは
偶然なのでしょうか、
選んできたのでしょうか。
やはり鹿島神宮と同様に
太陽が一番に上る土地、
神聖な場所としてきたのでしょうか。
海水域は昔もっと高かったので、
この辺りも海が近かったと思います。
知らないことばかりで不思議というか
面白かった場所でした😌
境内から鳥居のほうをパチリ。
お稲荷様の狐さま🦊!
少し厳しめの気配はありましたが、
道中気をつけて帰りなさい、と
言ってくださったような感じがしました😌
お稲荷様のお社。
この扉変わってます……🙄
どうやって開けるのかな?
お稲荷様は鳥居の外、
少し離れた井戸の側に鎮座されていました。
この周辺には井戸が七ヶ所あって、
ここは御手洗井戸と呼ばれています。
帰ろうと通りに出ると、
おや! 古墳があるではありませんか😳
古墳も好きなのです✨
駐車場は見当たらなかったので
できるだけ端っこ、道路の脇に停めて、
ささっと見学してきました!
茨城県内でも最大規模だそうです✨
とても綺麗にされていて、
お天気もよかったので、
時間があったら奥の古墳群も
見てみたかったです。残念💦
古墳というと縄文なのかな?
と思いつつ読んでいたら、
埋葬されているのは飯富一族とのこと。
これだけ広範囲に
古墳が点在していることを考えると、
かなり力を持って神を祀る、
祀り事をしていたのかなあと。
今は静かな畑や森になっていることは、
祀り事が鹿島神宮に移ったことと
関係があるのでしょうか。
飯富族も移動したのか
(本当に鹿島神宮の元宮だったとして)
それとも神だけが移ったのか。
考えだすと興味の尽きない
面白い神社参拝でした😌
神社についての感想です。
素鵞熊野神社の後に来たので
時刻のせいもあったのでしょうが(14時頃)、
晴れて日が差し込んでいても
光の力よりは
仄暗さを感じる神社、御神域でした。
ちょうどご夫婦や女性グループが
私以外にも参拝されていたので
寂しさや怖さは感じませんでしたが、
漂う気配はやっぱりすこーし
陰寄りのように感じます。
参拝してみたいなって思われた方は
雨の日や曇天より、
晴れた日の参拝をお勧めしたいです😌