自己紹介

 

 はじめまして。

 

絵の活動をしております天野みえと申します。

 

このブログでは、2018年に初個展をするまでのもがいていた日々とその後について書いてみようと思います。

 

 

小さい頃から普通に(普通に、ってつい言いたくなる…オエー)絵を描いていました。

 

暇な時間があれば、ノートに漫画のできそこないを描いたり、白い紙があれば冊子にしてイラスト集にしたり📖

それなのに、なぜか絵を仕事にしたいと思ったことは学生時代には一度もなかったです。

 

絵の仕事といえば、ピカソのような画家か漫画家しか知らなかったのです🖌🎨

 

そんなもんになれるなんて思いあがるほどうまくはないし、好きで描いているという感覚もなく、ただただ普通に描いてただけでした看板持ち

 

自分にとって絵を描く事は、全く特別なものではない、日常に当たり前にあることだったのです。

使う画材は鉛筆のみ✏️

色も塗らない、落書きの延長の気楽なものでした。

 

だけど、中学生までは仕事のように毎日描いていたのに、高校生になるとバイトや友達と遊ぶのに忙しく、ピタッと絵を描くことがなくなりましたふとん1

書き溜めていた漫画や絵も、見返すと下手すぎて恥ずかしくなって、全部処分ニコニコ

 

進路を考える頃には、洋楽好きで英語を勉強していた姉の影響で、英語を勉強したらええんやな、と真似をして自分の本当にやりたいことを考えることは放棄していました口笛

そして、だんだん英語を学ぶことが自分に必要だと思いこんで、

英語を使った仕事に就こうと思うようになりましたひらめき電球

 

自我の目覚め

 

就職難の中、なんとか就職した会社は貿易関係で、少しは英語を使うこともあり、給料もボーナスも良く、先輩方は皆優しく、同期は皆仲が良く、福利厚生も良く、最初の数か月はぬくぬくと過ごしていました照れ

 

ただ、配属先の私の立ち位置が少し特殊でした。

 

一時的に会社がめちゃくちゃ忙しくなった時に特設された部門のようで、私が仕事に慣れるころには仕事量が激減していたのですガーン

 

書類の数を数えて顧客別に分別する書類整理係と、多少の書類作成が私の主な仕事内容でした。

 忙しい頃には専属の整理係が必要だったようだけれど、私が配属された時には落ち着いていて、週の半分くらいは午後には仕事がなく、ぼーっとしていました魂が抜ける

いえ、ぼーっとしてるように見えないように、何かをしてるふりをしていました驚き

 

私が1人で仕事ができるようになったのを見届けると直属の先輩は退職パー

ワンフロアの両端は別のチームがあり、そこは人数も多く常に活気があり、そこから離れた机でポツンとひとりで仕事をしていました看板持ち

 

もちろん関連した業務なので、問題があれば相談をすることはできるものの、直属の先輩も上司もいないような不思議な立ち位置でしたキョロキョロ

 

時間をもてあまして、別チームに何かすることないですか?と聞きにいくと、困ったようにされていたので、迷惑をかけないよう出しゃばらないように、自分の業務だけをなるべく時間をかけてゆっくりすることを心掛けて過ごしていました真顔

 

ただ、同じフロアの先輩も同期もとても仲良くしてくれて優しくて面白くて、微妙な立ち位置に悩んでいた私を気遣って仕事中もよく話しかけてくれたし、飲み会もとても楽しくて、仕事帰りには英会話やお花、ダンスも一緒に習いに行ったり旅行へ行ったりと、仕事へのもやもやした気持ちを埋めるかのように毎日出掛けまくっていました歩くスター

表向き、何も問題なく充実した生活と言えたかもしれないスター

 

そうして深く考えないように過ごしていたのだけど…無気力

 

会社の皆と飲み会が盛り上がった翌日、カタカタと仕事に集中したり接客する同僚たちを横目に、自分の業務が終わってどうしようかと思っていた時、暇つぶしにお手洗いへ行きました真顔

 

鏡に映る自分の顔をぼんやり見ながら、ふと思いましたうさぎ

 

10年後ってここにいるのかな…。

 

言いようのない焦燥感が沸き上がってきて、ダーッと涙があふれました泣くうさぎ

 

絶対にイヤ。

 

次から次に涙が出てきて、自分でもビックリするほどでした泣くうさぎ泣くうさぎ泣くうさぎ

 

今までそれなりに目の前のことは頑張ってきたつもりやったのに…泣くうさぎ泣くうさぎ泣くうさぎ

自分の本当にやりたいことを深く考えもせず調べもせず、周りに流されてなんとなく過ごしてきた結果だと痛感しました悲しい

 

自分だからこそできる事がしたい。

 

強くそう思いました泣くうさぎ泣くうさぎ泣くうさぎ

 

10年後、自分の満足がいく事をしていたい。

 

飲み会が楽しくても、ボーナスが良くても、ここには10年も居られない…不安

 

それまで、年の離れたしっかり者の姉たちや友人たちの影響を受け放題で、とにかく自分で考えたり調べたり、ということがない性質でした看板持ち花

 

それはとても安全なものだったから。

 

そういう意図でそうしてた訳ではなく、ただ、自分が信頼している人たちの言動が、空っぽの自分の中に浸透しやすかったんだと思いますダウン

 

その人はその人独自の強い思いから行動するからいいんであって、表面だけを私がなぞってもあかんやん無気力

そして、意外と自分は仕事を頑張りたい人やったんや…無気力

そんなことすら、その時に初めて知りました泣くうさぎ

 

英語も別に好きじゃないちょっと不満

英語が好きな姉や友達が楽しそうに見えて、自分もそうだと思い込みたかったことに気がつきましたガーンチーン

 

そして、英語=貿易関係という安易な考えで、特別なスキルがあるわけでもないのに、とりあえず普通に就職しなきゃ、と思っていただけ指差し

今思えば、そんな薄っぺらい自分に引き合ったピッタリな職場の立ち位置だったと思います魂が抜ける

 

これからは、絶対自分で考えよう。

もう、なんとなく流れたくない。

もう、こんな透明人間みたいなのイヤ泣くうさぎ泣くうさぎ泣くうさぎ

私が居ても居なくても、誰も困らない何も変わらないであろう場所。

 

今でも立ちすくみそうになった時、この日の気持ちを思い出すと胸の奥がギュッとして、いてもたってもいられなくなります不安

あそこには絶対戻りたくない

あの会社、という意味ではなくて、あの状態の自分に。

何も考えず流れて行きついた成れの果ての自分魂が抜ける

(会社自体はアットホームで、とても良い会社だったと今でも思います花

全て自業自得の状態だったと思います。)

 

そして、自分が本当にやりたいことって何?を探す日々が始まりました凝視


今から20数年前の20歳の時でした