今日は一年に一度の記念日だというのに、あっけないほど普通の朝が来た。

 

 

あら、あなた、最近ずいぶん若返ったみたいね。「健康のコツ」とかあるの?

 

 

近所の年配女性にそう話しかけられたので、エレベーターに同情しているあいだ、ぼくは少しだけ自説を話すことにした。

 

 

本当は、上の記事に書いた思い出があるせいで、「あなた」という二人称は、彼女以外には使ってほしくない。スペアとして一般向けに「そなた」を取ってあるのに、誰も使ってくれないのは淋しいな。

 

 

にしたって、世界で一番淋しいのは、心を込めて愛を注いだのに、その愛が無視されて、なかったことにされてしまうこと。「水泡に帰す」っていうのは、不吉な慣用句だ。


 

何の話をしているかって? ひとことで言うと、「最近まとはずれなケチをつけられることが多いので、まともに的に当ててよ」とまとめられそう。


 

毎晩一夜漬けの過重負担で書くのって、楽じゃないんだぜ。上の記事が、日本一の天才演劇人の模倣だって言われたときは、「つらくて悲しくて淋しかった」な。

 

90年代当時、あまりまともな劇評は出ていなかったけれど、野田秀樹が縦横無尽に駆使する「シニフィアンの戯れ」は、単一空間に異世界を呼び込む「蝶番」のようなラカン文脈の役割を果たしているのは確か。

 

あれらの駄洒落が笑いづらいことをもって、野田ワールドを侮蔑したがっていた連中は、単に無教養。 消えていったんじゃないだろうか。

 

 (この劇評家は、疾走する野田演劇をオンタイムで理解していた数少ない一人)

 

ナンセンスな笑いを目指して「シニフィアンの戯れ」に興じている最近の自分が模倣していると難じるのも、単に無教養。っていうか、発言者は、両者を比較できるほど、野田演劇をちゃんと見ているのだろうか?

 

ハードワークに没頭している天才は美しい。そこに愛しか感じない自分からすると、愛のない錯誤的批判に接すると「つらくて悲しくて淋しい」な。と書きつけたところで、予定通りお臍でローズヒップティーが沸いた。

 

寒い冬には、ついこのひとことが出ちゃう。

 

 

そういや、下の記事のミュージシャン名で、伏字で「キ□□」と書いた部分に、或る「日本一のピン・コント職人」のレファレンスが抜けているのは問題だ! と息巻いている関係者がいるらしい。

 

くすくす。そんなことは最初から承知で、レファレンスを省略させてもらったに決まってるじゃないか。

 

 

こういう状況だから仕方なく釈明するけど、レファを貼ったらその苗字のシニフィアン上の「偶然の一致」を見た愛のない連中が、「これは喧嘩を売っているので、人権侵害延長だ!」「いや、確かに挑戦的ではあるが、的中しているのは確か」とか、ヤイヤイ議論になって、曲解延長工作が発動するのは、経験則から間違いないのだ。

 

こういう手口を数百回繰り返されて、いろいろな人々に迷惑がかかってしまったのが、この16年だった。

 

愛と感謝が心にある大人なら、黙して流すべき局面だったのさ。

 

わかってくれる人たちがわかってくれるといいな。

 

「ハードワークに没頭している天才は美しい」と言えば、上のような的外れ批判を奇貨として、最近の自分も「器の大きさ」について考えさせられた。産楠 a lot。

 

世間で言うような「寛容さ」とか、「包容力」とかいう置き換えでは、わが独自思想は満足してくれそうにない。その二つなら、やろうと思えば誰でもできるから。

 

暫定的な自分の「器が大きい」の定義は、

 

 

人生という箱に、自他のためのハードワークがたっぷり入る人。

 

 

ということになりそう。いかがだろうか?

 

(画像拝借元:http://coayaya.hatenadiary.jp/entry/2017/03/02/195636

 

上のどこかで「16年」って書いたけれど、この1年を振り返ってだけでも、いろいろなことがありすぎて、感傷的になってしまうな。年少の友人たちが、お友達と写っている写真を見ながら、ひとりアルコールが進んでいく晩だ。

 

それにしても、ヘアメイクが変わるだけで、年頃の女子は、こんなに別人みたいに綺麗になってしまうものなのか。ノギザカりの女子たちは眩しいな。

 

すぐにわかったのは、後列の左から二番目の女の子。背が高いからね。その右隣にいるのが… 目の大きいあの子かな? 別人みたいに綺麗になってしまったせいか、酔いが回ってきたせいか、よくわからないや。

 

でも、ちょうど1年前、教室に入ってきたぼくに向かって、彼女たちが手拍子でハッピーバースディを歌ってくれたことは、絶対に忘れない。涙脆いぼくは、すぐに uru っときて、「きみたちは、日本でいちばん可愛いイイ子の女子高生だ!」とその場で断言したので、写真はこれで間違っていないはず。 

 

10人弱の彼女たちを、昔ほぼそう呼んでいたように、(「2東」→)「ニッキ菓子」ガールズとでも名付けて、今週末のセンター試験の完全燃焼を祈りたい。

 

ふっふっふっ。今晩はいつにも増して話題はとりとめもないので、どのトピックがどこに結びつくか常連読者もわからないだろう? 正直いうと、ぼくにもよくわからないのだ。

 

そういうとき、検索エンジンが返事をくれたりするから、世界はとても不思議で素敵な場所だ。味が似ているのは知っていたけれど、まさか「ニッキ」と「シナモン」がほとんど同じ香辛料だったとは!

 

 

という意外な流れで、「日本一可愛いイイ子の女子高生たち」にハッピーバースデイを歌ってもらったちょうど一年後、ぼくはまたしてもオザケた至難問に取り組むこととなるのだ。

 

 

コケシ: 「悪ふざけ」どころか、上の記事のさりげない引用で「春オザケン」を印象づけようとしたりする自意識過剰はいただけないわ。おまけに、何よ、昨晩は。シナモンがカブっただけで舞い上がちゃって、みっともないったらありゃしない。

 


 

ぼく: でもクレジット表記の「シナモン」は、本当に謎だ。あの謎こそが至難問だね。いいさ、どうとでも言ってくれよ。他にも90年代の王子様と共通点を見つけちゃったから、ぼくは今晩もご機嫌なのさ! 

 


赤字にした部分を読んで、このブログの常連読者なら、ピンときたのではないだろうか。

 

名曲揃いの彼のシングル群の中でも、とりわけ彼らしいハッピー王子感あふれるこの曲は「ラブリー」っていうんだぜ。

 

 

そして、目下の自分が頭を悩ませている「セシールCM幻聴問題」。あのCMがこう聞こえて仕方ないことを再確認しておこう。

 

 

(Cecile), Il offre sa confiance et son amour.

 

いる方へさっと来ん、フィアンセ。そんなもん。

 

 

 

このCMは、もともと下のCM撮影で「競艶」したセシルちゃんに教えてもらったものだ。

 

 

上で引用したCMも資生堂のインテグレートだった。かつて自分も偉大な世界に飛び込んでいた時期があった。いわば into great な時代があったわけだ。

 

 

自分が出演したのはこのCM。風船がぽんぽん飛んでくるので、プールに落ちそうな気がして怖かったのを、昨日のことのようによく覚えている。綺麗にカットされて、緊張した表情をした若き日の自分が、何だか微笑ましい。

 

 

 

あのCM撮影のとき、「この世界で生きていきたいんなら、大切なことを教えてあげる」って、セシルちゃんがタブレットを見せてくれたんだ。「これが私の座右の銘なのよ」ってね。

 

 

(Cecile), Il offre sa confiance et son amour.

 

「信頼と愛をお届けするセシル」

 

 

動画は数秒だったけど、トップモデルはやっぱり違うなって思った。

 

だって、座右の銘を色紙に書く人はいるけれど、彼女は男性ナレーションと女性コーラスをあしらった動画の形で、座右の銘を持ち歩いているんだもん! きっと雑誌のインタビューで訊かれたら、すぐにアレを見せるんだろうな。

 

 

座右の銘には、その人の魂の使命が刻まれているものなのよ。今日の出会いにピンと来たら、ワンちゃんの座右の銘を私に教えに来てね。

 

 

セシルちゃんはそう言い残して、マネージャーとスタジオを後にしたけど、ぼくの座右の銘は、そのときにもう決まっていたのさ。犬だから話せなかっただけ。

 

誰だって、CMを見たら、ぼくの魂の使命は一目瞭然だろ。

 

 

これしかない。

 

 

ラブリーに生きる!

 

 

いいかい。冗談みたいに書いているけれど、これはこれで凄いシンクロ連鎖なんじゃないかな。

  1. 一年前の誕生日を思い出して、「2東ガールズ」を一番近い「ニッキ菓子ガールズ」に言い換えてみた。
  2. ニッキとシナモンはほぼ同じ香辛料だと判明。
  3. なぜか90年代の王子様の絵本の肩書きに「シナモン」がある。
  4. シナモン(≒至難問)はぼくの人生の宿願。それを果たすためのキュート・キャラ。
  5. シナモン犬に似たキャラでCM撮影をしたとき、モデルさんが「セシルの座右の銘」を聞かせてくれた。
  6. ぼくにはそのCMが「いる方へさっと来ん、フィアンセ。そんなもん」(=至難問)に聞こえて仕方ない。
  7. 思えばあのCMの最大のメッセージは「ラブリーに生きろ♥」だった。
  8. 「座右の銘」動画を持ち歩いているセシルちゃんに触発されて、自分の座右の銘を「ラブリーに生きる!」に決定。
  9. 90年代の王子様の名曲に「ラブリー」があったことを思い出した。

シンクロ連鎖の解読に心得のある自分は、半分冗談で紡いできたこれらの文脈の重なり合いにも、ただならぬ奇跡的な「偶然の一致」を感じてしまうのだ。

 

これ? 凄いことになるんじゃないの? よくわからない多幸感に包まれて、ぼくは思わず、どこかの誰かを誘っちゃった。

 

 

C'mon baby, let's go party!

 

 

 

誕生日のゴキゲンな書き飛ばしの後、ブログ主は大ピンチに! <後編>に続く!