大事件を回顧するとき、その事件が起こった当時、自分がどこで何をしていたかがまざまざと蘇ってくることがある。微弱な電気信号が、脳の中にあるシナプス網を駈けめぐる。投石した池の波紋のように広がっていくのが、心地良くて美しい。人々が9.11世界同時多発テロそのものよりも、当時の自分のささやかなエピソードを語りがちなのは、記憶を連鎖的に思い出していくのが心地良いからだ。

 同じように、繰り返し見た映画や好んで聴いていた曲が、テレビやラジオにふと現れると、当時の記憶が連鎖的に蘇って、しばし陶然としてしまうことがある。 


(画像拝借元:http://www.carnavalet.paris.fr/fr/collections/chambre-de-marcel-proust

「プルーストのコルク張りみたいな部屋。ああいうのを選んで、用意しておきましたよ」

 ありふれた固定観念であっても、それが相手の好意なら、喜んで受け取る性格だ。

「助かりますよ。日光にあたると、小説の世界がかき乱されることがあるんです」

 実際は、40歳以降、フーコー流の「自己への配慮」を深めた結果、体内時計に逆らって生活すると疲労しやすく、創造性も生産性も落ちることがわかってきた。科学の世界でも、サーカディアン・リズムが全身の臓器や血流を制御していることがわかってきた。
 

(画像拝借元:http://www.nikkei-science.com/page/magazine/0212/sp6.html
 

 だから、ぼくは缶詰になったホテルの部屋に入ると、締め切ってある雨戸を開き、カーテンを引いた。二重窓にしてある上、さらに雨戸を締め切ってあるのは、ホテルが高速道路の高架を見下ろしているからだ。


(画像拝借元:http://blog.cwr.co.jp/blog/cleverwolf/7no=32472

 首都高は長々と渋滞している。遠くからでも、樹形図のような緑色の標識が、渋滞をあらわす赤塗りになっているのが見える。あの緑地に赤の樹形図のことを、まさに『燃え上がる緑の木』ですよね、と誰かに言いたくなって、機智を共有してくれそうな相手がいないことに気付いた。毎年、あれほどノーベル賞で浮薄な大騒ぎをするくせに、受賞者の小説を読む日本人はほとんどいない。権威だけが大事な人間には、権威だけが大事らしい。 

 

 

 自分で淹れたドリップ式の珈琲を犬のようにくんくん嗅ぎながら、ぼくは聞くともなしにラジオを聞いていた。「日本道路交通情報センターの堀尾さんです」という紹介のあと、渋滞状況を話し始めた声を聞いて、ぼくは顔を上げた。「自然な渋滞です」と彼女は言った。その女性の美しい声に聞き覚えがあったのだ。

 ぼくがラジオをいちばん聞いていたのは、小中高の未成年時代。勉強や創作の背景で聞き流していた。ラジオの内容はもう忘れたのに、堀尾さんの透き通るようなソプラノだけはよく覚えている。大人になったら、きっとこういう綺麗な声の女性に、「あなたがいないと生きていけない」とか、「あなた以外の男を全部忘れさせて」とか、耳元で囁かれるのにちがいない。羞かしいことに、思春期の少年はそんなありえない夢想をしていたのだった。

 高速道路の渋滞情報をじっと聞いているうちに、十年以上前に書いた自分の小説のことが蘇ってきた。「隔離された状況での最高の友情」を小説で描くなら、どんなシチュエーションを描けば、最高度の友情になるだろう?

 その問いから導き出した一場面だった。主人公には外国人の親友がいるが、事情があって、電話やメールや手紙の連絡手段が断たれている。隔絶したヨーロッパの街から、東京にいる主人公に友情を伝えようとするとき、彼はどんな表現を使う?

 ぼくは小説の中で、イギリス人の親友に、高速道路の定点観測カメラに写り込むことを選ばせた。リアルタイム中継のPC画面でも読み取れるくらい、大きな文字を掲げて。

 文字とは、例年発表される「今年の文字」のように、漢字ひと文字だ。その漢字を「仁」にしたところに、自分らしい創意工夫があったと思う。日本語のできない外国人は、カタカナだけ先に覚えることがある。日本語がわからなくても、「ガイド」という標識が読めれば、そこで guidance をもらえるとわかるからだ。

 その英国人は「仁」を「イニ」というカタカナ二文字だと勘違いして、拡張子の「.ini」と同じく「始める」という意味だと強引に解釈した。そして、監視カメラ問題を語り合ったことのある親友に、「さあ始めろ」というメッセージを、一日立ちっぱなしで送ったという筋書きだった。それ以外は、自分の書いた小説なのに、ほとんど内容を覚えていない。ただ、「まだ何も始まっちゃいない」状態だったことは、しっかりと書き込んだ覚えがある。 

 

 

 ラジオの堀尾さんの声が、雨が降っているのでスリップへ注意するよう呼びかけた後、最後に「草木には恵みの雨ですね」と付け加えた。

 ぼくが見下ろしている窓からは、あの高速の定点観測カメラが見えるはずもない。それでも、あの場所にいま雨が降っていることを教えてくれて、雨に濡れたその場所で芽吹く何かがあると想像させてくれた彼女の声を、ぼくは眩暈のような脳細胞たちの発火リレーの中で、美しいと感じた。

 それから、机に向かって、小説の続きを書き始めた。

 

 

 

 


 (「I can speak」との競作(40字×53行)。顔を知らない女性の美しい声に、別の男性を絡める構成で競ってみました)。





 

(執筆中のBGM)