とにかく私は一人がいい

 私の人生を振り返ってみて一人が良いと実感し始めたのは大学生活からでした。大学一年生と二年生の時に大学の寮に住んでました。そこは二人一部屋でした。だから誰かと一緒にいるわけです。そんなに酷く一人が良いとは思わないのですが、一人が良いと思ってましたね。大学三年生から大学の近くのアパートに引越ししました。大学の寮は大学から離れていて徒歩、電車で約40分ぐらいかかっていましたが、アパートに引っ越してからは徒歩で10分ぐらいのところでしたね。このアパート生活を二年半しました。一人暮らしでした。

 人と一緒にいると何が起きるのかと今、この時に分析してみるとよく分かります。私は極端に感覚を優先する人間でした。幼少期からの環境が私の感覚を育んでくれて、その為に学習障害のような立場で学校に通っていましたね。私の時代は今のような学習障害というカテゴリーはありませんでした。だから、皆同じ平均した子供達として教師は生徒を見るのです。そして変な子がいると異常者としてみるのです。私は丁度見分けがつかないぐらいの子供でしたね。そんな環境のなかで感覚を育んだと思います。まさかこれが社会にでて適応しにくい人間になるとは思いもしませんでしたね。

 他の人がいるとこうです。一人でいる時は自分の感覚で生活します。だから概念化する必要がないのです。感じるままに生活すればよいわけですね。自分の世界で生活すればよいのです。知らない人がいてもそれが通用します。別に何らかの概念化する必要もないからです。

 知っている人と一緒にいるとか、何らかの関係のある人がいると自分の中で何が起きるかというと、この今まで持っていた私の世界を一旦棚に置いてしまいます。そしてその人の世界に入ってしまうのです。これはどういう意味かというと人の世界にはいって物事を考え始めます。そして概念化を始めるのです。私には初めから言葉になって表れません。感覚が先で、それを概念化して言葉にして話すのです。

 実はこの作業が私にとっては非常に苦痛で、社会は評価で成り立っており、人間関係も評価で成り立っており、悪い評価を受けないようにして言葉を捜し、作り出さないといけないでしょう。それが結構大変なのです。人の立場で言葉を作らないといけない作業が大変で頭がくらくらするほど色々と考えてしまいます。

 若いときはそれでも体力があるので、体力に任せて別に落ち込むことはありませんでした。それは一時的なことだったので別に余り苦にはなっていなかったようです。大学時代は比較的自分の自由な時間がありましたね。

 ところが教会に入居すると事はもっと深刻になるのです。全てが否定されて自分の感覚の世界までも否定されて、概念で生きなければならない常態になりました。教会生活は関係重視でしょう。組織になっていてカインアベルは人間関係なのです。だから自分の一番苦手とする環境下のなかで、それを自分で覚悟しながら歩んでましたね。日本での歩み、10年間は大変なものでした。ある期間は生きる屍の様になって歩んでました。思考回路は完全に崩壊し、言われるままに体を動かす。ただそれだけをしていました。それは京都と滋賀で歩んでいたときです。1990年の2月にアメリカに来てから少し解放されましたね。

 教会で「一人でいないで皆集まってみんな助け合おう。楽しくしよう!」と言います。これって私にとってはもっと厳しい環境に来なさいといわれているようなものなのです。義務感使命感で概念で作られた理想郷をめざして頑張りましょう!でしょう。若いときはそれで私も何とかやってきました。義務感使命感は私にとってもう終わってます。自分の内面から沸き出る自分の意識が全てなのです。それは沢山の人が集まっている中から現れません。自分一人でいる時い表れます。これが感覚を持ちながら生活することが出来る最も良い環境なのです。

 ピースカップは楽しかったですよ。それだけのメリットは私にありました。だから、全てが一人でいなくてはならないという意味ではありませんので誤解しないようお願いします。基本的には一人が良い私なのです。

 スタッフの皆さん、そして参加者の皆さんお疲れ様でした。

 

 それからもう一つ、夫婦関係は如何なのかというと私は自己組織化の夫婦関係が良いと思っています。お互いにやりたい事を許しあってやりたい事をすればよいのです。そして協力し合ってしないといけないときはその時は協力し合えばよいのですね。だから夫婦関係だからといってそこには何の決まりもないのです。夫の責任とか妻の責任とか昔から積み上げられたものがありますね。あれはもう廃止しましょう。

 

 

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