感覚と概念の違い 人間の意識の目的は何か

 人間の意識の目的は何かを考えてみようかと思います。意識があると言う事実、肉体(脳)を土台として意識が作られ、意識は人間だけが持つ意識として、意識は一体何の為にあるのでしょうか?現実の同じ物を見るでしょう。例えば同じ映像があって全てが同じなのですが、現実は全てコピーされた映像、録画された映像を見ている人間一人一人は感じ方が違うのですね。同じじゃないのです。一体何が違うのでしょうか?肉的な五感が作る信号が多少違うかもしれません。それにしても感じ方が違うのはどうしてなんでしょう?

 感覚と言うのは何か、感覚をどのようにどのような時に感じるのか?一応五感ですぐに感じるもの直接的に感じるものはあります。目で見てる視覚、耳で聞く聴覚、触れる触角、匂いを感じ味を感じます。それと感覚が意識に現れるようなものがあります。それは自分の意識を受け入れるか受け入れないかによって決まる様なんです。この時に感じる意識というものは自分の脳が評価した後の意識なんでしょう。

 自分が意識したから意識したと思っていて、自分の意識は明らかに自分の意識だと疑うことさえ出来ないですね。こんな事を書くこと自体がおかしと思われてしまいます。意識は明らかに自分であると確信しています。だから否定を受けると自分お存在が否定された感覚になります。人の行動の動機を調べるのに否定すればすぐに分かります。否定されて怒ると動機が自分にあったと言うことなのですね。否定されても悔い改める人はなんでしょうか?

 このようにそれが怒りに対する自分の姿勢で意識の捉え方が別れるのです。人に対する怨みは怒りとなって現れます。その怒りを自分が被害者になって加害者を建てることで怒りを和らげる方法を取るのです。しかし怒れば怒って人を叩き、人が反撃してくると、言い返して非を認めないとますます怒りが増幅します。大体それでお互いに傷つきあって終わりますね。何の発展もないんです。

 喧嘩して仲良くなるのは最終的に自分が間違っていた事に気づいているからだと思います。喧嘩してもお互いに自分が正しいお思い続けるので結局は裁判所が必要になるのですね。これが自分の意識は自分なんだから否定される事で自分の存在も否定されて誰か肯定してくれる人を探します。孤独になるからそれが嫌なんでしょう。そうではありませんか?これが私達が教えられている堕落性本性でしょう。否定されると現れる様になってます。否定を受けて怒ったら悔い改める必要があるんです。

 それは自分自身の現状だと認めることなのですね。なぜかと言うといつも同じ環境で同じ現象が起きたらいつでもイライラし、怒りを感じる様になっていて、それをいつまでも繰り返すからなのです。全く進歩しないんですね。同じ状況になっても怒りの思いが出てこない様にしなければならないのではありませんか?そのための否定なのですね。だから何をしないといけないかと言うと自分の怒りの原因が自分にあった事を認めないといけないのです。ここがポイントなんです。

 この悔い改めて立った立場が自己の位置と状態なんです。いつも悔い改めの状態にすると言う意味なんです。ここから何が始まるかと言いますと感覚が蘇ってくるのです。自分の意識を受け入れられないで正当化しているので感覚はいつまでも抑圧を受けているのです。否定の意味はここに立てるようにする事なんです。これが条件になるのですね。孤独を通過しないといけないのは否定を甘受する時に通過せざると得ません。

 そのようなところを通過する心情が何かと言うと庶子が通過する心情なんですね。庶子と言うのは初めから否定圏なんですね。だから自分を肯定するところがありません。怒りを感じた自分が悪いと思うのです。自分が悪いので自分が改めないといけないのです。ここを通過しないといけないのですね。だから自分に意識は自分自身ではなくて自分が今まで作ってきた脳が今のこの瞬間の環境を通じて意識化したものなのです。私達はそれを自分だと勘違いしてるのです。

 自分は生まれて今の瞬間まで作り上げたのは自分が色々な環境の中で体験して感じて構築された自分に脳です。この瞬間の脳の状態をどのように表せば良いのですか?それが私達一人一人の環境に現れる意識なんですね。それを認めてません。自分の意識を認めると言うのはどういう意味でしょうか?今の自分を認めるという事でしょう。今、環境に映った自分自身を認めるという事は自分の感覚と繋がるという事なんです。

 心と体の一体化と言うのはとっても漠然としてますね。心とは何ですか?体って何ですか?分からないでしょう。分からないのにどうやって一体化するんですか?私はさっぱり分かりません。自分が良い事をする事ですか?自分が犠牲になる事ですか?自分が人を喜ばす事ですか?行いなんですか?自分が神様の願う通りに行動する事ですか?自分が神様に従う事ですか?神様って何ですか?考えれば考えるほど分からないでしょう。

 だから私は人間の日常の生活の意識を分析するのです。その自分の意識を認めるか認めないかで大きく変化します。とっても重要な事だと言います。日常の意識は今のところ解かれてません。科学では未だ説かれていません。私達の肉的五感と霊的五感も非常に曖昧ですね。霊界についての理解は色々な人が解いていて、霊界への往復切符を得た人が書きます。そんな人いますか?スエーデンボルグでしょうか?本になって有名になったから皆信じるんでしょうか?霊界に行ったかどうかは本人しか分からないのに、そのような霊界の表現が言葉で言い表した霊界の実体なんだと言います。それを信じてます。霊界なんて私には分かりませんね。見た事ないし、感じることもないし信じる根拠が無いんです。人間の意識の目的は何かというと自己実現の学習のため、自分の天国を創造するための学習をしています。私の世界を作って永遠に暮らすことかもしれません。

 

 

 

 

 

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