その立場にならないと人は理解ができない。|幡野広志|note(ノート) https://note.mu/hatanohiroshi/n/n454ca05522ed
このブログ記事を読んで考えさせられた。法術には、「心は心を離れて認識することは出来ない」というのがある。それはわかりやすくいうならまさに、その立場にならないと人は理解ができない、ということだ。
人間は、知らないことは想像できない。考えることが出来ない。「いやそんなことはない、知らない事も想像できる」という人は、たとえば「ぽげらんししきはっも」について想像してほしい。これがどういうものか、私は知っている。その私の知っている「ぽげらんししきはっも」を想像してほしい。ヒントは一切ない。想像できただろうか。
無理であろう。仮に適当に想像したとして、それは私の知っている、正しい「ぽげらんししきはっも」とは全く別物だ。「貴方が知らないものは貴方は知らない」という当たり前のことが理解できただろう。
ではこれにヒントをいくつか与えたとしよう。
そうしたら、そのヒントから連想し、想像できるだろう。
ヒントから連想するという事は、そのヒントの単語から、自分の記憶の断片を引き出し、パッチワークのように構成して、再現するという事だ。
つまり、「知っていなければ」想像は出来ない。
これは「ぽげらんししきはっも」に限った事ではない。
人は体験し、理解した事しか知らないのだ。頭で知識情報として知ったつもりになっても、実際に体験し、心から理解し、体得しないと意味が無い。
先のブログ記事に書かれた相談者の方は、自分の身内が「それ」を体験し、そしてそれを通じて自分が当事者になったことで、初めて自分のしてきたことを「体験」した。
それでようやく、自分のしてきたことの重さを心から理解することが出来た。自分が体験したから、「他人の身になる」事が出来たわけだ。
よく「他人の身になって考えましょう」という言葉がある。しかし、それは実践するのは難しい。その他人の立場を「体験」しないと、他人の身になって考える事は難しいからだ。強いイメージ力を有するか、実際に体験しない限り。
体験は宝である。
多くの体験を重ねることで、心は広がる。大きくなり、深くなる。他人の事も考えられるようになる。どうすれば人が喜ぶか、どうすれば嫌がるか、自分の事のように考えられるようになる。
喜びも、悲しみも、怒りも、苦しみも、全ては自分を大きくるための糧だ。教師だ。
殴られた痛みと恐怖と絶望を知らなければ、殴られた痛みと恐怖と絶望を想像できない。殴られた人がどのような痛みと恐怖と絶望を持つのか、知らないし想像できない。故に、考えなしに人を殴ることが出来る人間になれる、というわけだ。
良い事も、悪い事も、多くを体験してほしい。ただし、「だから悪事を働いてもいい」という事では決してない。大切なのは、想像力、イメージ力を鍛え、養う事だ。一番いいのは、物語を読むことだ。想像しながら、イメージをえがきながら、主人公たちの人生を自分の出来事のように体験する。頭で読むのではなく、心で読んでいこう。
そうすることで、少しでも、自分は、自分の心は広がっていき、自分を変えていけるはずである。