僕の好きな看取りのお話
福岡市の臨海地区にある総合病院。周囲の繁華街はクリスマス商戦の真っ只中でしたが、病院玄関には、大陸からの冷たい寒気が潮風となって吹き込んでいたと思います。
老婆の目には、涙のあとが残されてはいましたが、しかし満足そうな微笑みを浮かべていました。おそらく、たった今、逝ったばかりの老人もそうに違いないと、あのとき僕は思いました。
「御迷惑をおかけしました。もう結構です」 それから10分ぐらいが経過したでしょうか。病室のドアが開き、妻が出てきました。そして、救急部のスタッフたち全員に繰り返し深々と頭を下げて、老婆は言いました。 しかし、医長は片手を振って、スタッフたち全員に病室を出ろと合図しました。アンビューバッグを押していた看護婦もその場を外されました。僕も老婆の後ろであっけにとられていましたが、はたと気がついて、急いで外に出ました。こうして、病室は妻と真の意味で死を迎えつつある夫だけとなったのでした。 心臓マッサージを続けながら、夫に訥々(とつとつ)と語りだした老婆に、救急部のスタッフたちは、呆然としました。いったい何がはじまったのかと、他の仕事をしていた看護婦たちも集まってきたほどです。「お父さん。あんたは、な~んも自分のことができんかったけん、あたしがずっと一緒におってやったとよ。しまいにゃ心臓すらあたしが動かしちゃらんといかんごとなって、情けなか人やねぇ でもね、あたしは幸せやった。楽しかった。覚えとるね、姪浜であんたが喧嘩したときのこと・・・」 看護婦が、背の低い老婆のために、急いで足台を持ってきました。台に登った老婆に、僕は手の置き場所と、力加減とタイミングを手短に教えると、「よ~わかりました。これで良かですか?」と言って、弱々しくはあるけれども正確なタイミングで心臓マッサージを開始したのです。僕が小さく頷き、「お上手ですよ。それで結構ですと言うと、老婆は満足そうに、なんと微笑みすらこぼして、夫に語りかけはじめたのです。 僕は、あっけにとられて、医長をふりかえりました。医長もびっくりした顔をしていましたが、一言、「教えてさしあげなさい」と僕に指示しました。「あの~ すいまっせん。あたしにやらせてはもらえんとでしょうか。すいまっせん。お願いします。教えてください」 妻は心臓マッサージをしている僕のそばに、よろよろと歩いてきてこう言ったのです。 しかし、その腰は折れ、何かに捉まっていなければ立ってすらいられないような妻が5分後に下した判断は、経験の長い救急部医長に言わせても初めてのことだったとのことです。 そこにいる医療スタッフの誰もが、妻が心臓マッサージについて「もう結構です。ありがとうございました」と言うのを待っていたのです。救急の現場ではよくある光景でした。 おそらく心臓発作を起こされたのでしょう。また、長らく肺気腫を患っていたようで、まあ、老衰による死と受けとめてもよい状態でした。さて、僕は救急当直だったので、救急部医長の指示のもと、心臓マッサージを開始しました。しかし、これは患者の妻が死を受け入れるまでのデモンストレーションでもありました。 一緒に救急車に乗ってきた80歳の妻の話では、その老人は自宅の居間でテレビを観ていたはずだが、妻が買い物から帰ってきたときには息をしていなかった、とのことでした。 老人は86歳。確認すると瞳孔は完全に散大し、医学的には死亡確認できる状態となっていました。茶色く朽ちたような身体にパリッと糊の利いた白いシャツが印象的でした。 そんな夕暮れどき、心肺停止状態の老人を乗せた救急車が、ERに到着しました。