私はこれから死のうとしているわけではなく,死を予感しているわけでもない.

なぜこんなものを書いているかを今から説明する.

 

誰しもに死が予定されていて,誰しもがそれを一度は意識する.

多くの人間が自身の死後に何を遺せるかを一度は考えたことがあるはずだ.

私もその例に漏れず,常にそのことを考えてきた.

 

有名な哲学者が我思う,ゆえに我ありと言ったらしいがその通りだと思った.

この世の何もかもの実在を疑っても,それを疑う自我の実在は疑いようがない.

たとえそれが,それがゲームの中でも,培養液の中であっても.

 

同じ考えを持つ人間に,私の自我が実在したことを示すには私が何を思ったか,何を考えたか,何を感じたかを記録しておく必要があると思った.

たとえこの文章が誰の目にも留まらずとも,この文章が残る限り,それは自分が実在した証であり続ける.

そう思うことにした.

 

日記が3日以上続いたことはないので,この遺書に内容を継ぎ足すのは不定期になるだろうし,そのつもりだ.

かなり間が空くだろう.それは一年かもしれないし,十年かもしれない.あるいはこれが最初で最後かもしれない.

 

とりあえず,ここまでの文章が私の遺書の序文に相当する.

書きたいことはたくさんあるが,次回の内容のためとっておくことにする.