III 「罪」の輸入

 

西洋において、同性愛がどのように捉えられてきたかという歴史の流れが素描される際、まず最初に、「罪」という観点が挙がることが多い(13)。ここでいう罪は、神に背く罪 sinであり、宗教的乃至は道徳的な意味での罪である。キリスト教の聖書のいくつかの章句がその根拠として引用される。レビ記の「あなたは女と寝るように男と寝てはならない。これは憎むべきことである」という章句や、コリント人への第一の手紙の「不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者は、いずれも神の国をつぐことはないのである」という章句がよく引かれる。人類史の中で最初に「罪」とされた同性愛は、そのあとに「犯罪 crime」とされ、続いて「病理 pathology」とされた。

同性愛を罪とし、LGB当事者に罪の意識を抱かせるというホモフォビックなスタンスは、第15章で述べたように、同性愛を病理とした精神医学の体系の中に受け継がれ、さらに、上述したように、西洋精神医学の輸入とともに日本にも広まっていったのである。

筆者は臨床の中で、リストカットなどの自傷行為の経験のあるLGBの人たちに出会うことがある。特に思春期の頃に自傷行為をしている人が多い。思春期に自傷行為をするのはなにもLGBだけに限ったことではないが、LGBの人たちに特徴的なのは、「同性を好きになることはいけないこと、罰を与えなければ」「自分は動物として間違っている」などと強い自責の念――自らのセクシュアリティと関連づけられた自責の念――を抱いていることである。自らを責める思いを抱き、自らを傷つけるLGBの中学生・高校生が――その事実が明らかになるのは、彼ら・彼女らが成人してから、思春期の体験をようやく言語化できるようになってからのことが多いが――いる。そのような中学生・高校生は、西洋――「罪 sin」という考え方の発祥地である西洋――にだけでなく、現代の日本にも多数存在している。臨床家による支援を必要とする人々がいる。

精神科医でありユング派分析家である秋田は、西洋精神医学の中にキリスト教的価値観が取り込まれていることに日本人は気づいておく必要がある、と指摘する(14)

 

現代日本の精神医学は概ね西洋精神医学に則っている。ところが、そのものの見方の根底には、我々日本人が受け入れることができなかったキリスト教がある。もちろん、DSM-IVICD-10のなかにキリスト教用語が公然とちりばめられているわけではないが、この背景には「キリスト教」がたしかに存在する。そこのところに我々日本人は気付いておく必要がある。

 

秋田は、その論拠として、19世紀後半、ヨーロッパにおいて近代精神医学の体系が形成されつつあった時期に、多くの精神科医たちが依拠していた「変質学説」と呼ばれる説の及ぼした影響について詳述している。変質学説とは、フランスの精神科医モレルMorel, BA 1857年に発表したもので、モレルの考えによると、「人間の原子型はアダムだが、アダムは原罪によって堕落したため、それまでは無害であった外界のもろもろの影響を人間が受けるようになり、その結果として遺伝を免れることができなくなった。健康者のほかに時おり変質者(dégénéré)が現れるのはこのため」である(15)。モレルは、「精神疾患は一つの変質である」と述べ、正常型もしくは原初型type primitifは神の創造の賜であり、変質は人間の原罪がもたらした根源的堕落とみなしている。

現代の日本人には奇妙に聞こえるであろうこの「変質学説」であるが、決して「変わり者の奇説」などではなかった。フランスのみならず、19世紀後半のヨーロッパ精神医学の種々の著名な著作にこの変質学説の考え方は取り込まれている。上述したクラフト=エビングの『性的精神病質』は、明らかに変質学説の考え方に基づかれて書かれている。当時のヨーロッパの精神科医たちの世界観において、このような考え方はなんら不自然なものではなかったのだろう。秋田は、変質学説がヨーロッパ精神医学会を席巻していた時期が、(西洋精神医学の体系がクレペリンを中心として確立されつつあった)19世紀後半であったことに注意を促し、「そのいわば揺籃期に刷り込まれた、というより半意識的にキリスト教を取り込み成長したのが現代西洋精神医学である」と看破している。

同性愛を罪とするキリスト教的価値観は、西洋精神医学の中に取り込まれ、西洋精神医学を輸入した日本にも持ち込まれるに至り、それまで男色と呼ばれていた同性同士の親密な関係性は、「性倒錯」「変態性欲」という言葉で貶められるようになった。日本のLGBの人々に自責の念と罪悪感を植えこむ役目を果たしたといえる。

西洋から日本に話を戻す。「罪 sin」という概念は西洋に特徴的な概念であるように思えるが、第9章で述べたように、日本でもっとも古い男色の記述だといわれる逸話が、日本書紀の中で「罪」という言葉とともに語られている。「あずなひの罪」と呼ばれているものである。今一度、第9章の日本書紀の記述を目にされたい。

 この逸話の中では、「あずなひの罪」のために、日中なのに夜のように暗い状態が続くという――天照大神が岩戸にこもったときと同じような――天変地異的な現象が起きているわけだが、この「あずなひの罪」というものが一体どのような罪なのかということが気にかかる。男色の罪ではないという説もあり得るだろう。系統の異なる二つの神社の神官を一緒に穴に埋葬したことを「罪」と呼んでいるのだ、という考え方もあり得そうである。しかし、そうだとしても、それを具体的に表現する際に、なぜに、「号泣し」「死体のかたわらに伏して自死してしまった」などという、後世の衆道をも彷彿させるような記述になったのかということに目を向け考えを投じてみる必要はあるように思われる。

西洋において、同性愛はキリスト教的な「罪 sin」を歴史の初期の頃から背負わされているわけだが、古代の日本における罪は、キリスト教的な「罪 sin」とはかなり質の異なる罪であろう。日本における罪は、祓いの儀式によって祓われ、水に流されていってしまうようなものかもしれない。それでも、天変地異的な現象を起こすほどの「罪」が、日本最古ともいえる文献に男色らしきものとの関連において記されていることは、現代の日本で同性愛の人々との心理療法を行なう筆者にとって注目に値する事柄であるように思える。

 

 

文献

(1) 伊藤悟,大江千束,小川葉子他(2003)『同性愛って何?』,緑風書院.

(2) 小田亮(1996)『一語の辞典―性』,三省堂.

(3) 古川誠(1993)「セクシュアリティの社会学」『わかりたいあなたのための社会学・入門』(別冊宝島176),宝島社,176219

(4) 佐伯順子(2000)『恋愛の起源』,日本経済新聞社.

(5) 前川直哉(2011)『男の絆―明治の学生からボーイズ・ラブまで』,筑摩書房.

(6) 五味文彦(1984)『院政期社会の研究』,山川出版社.

(7) 氏家幹人(1995)『武士道とエロス』,講談社.

(8) 山本常朝(1716)『葉隠』(奈良本辰也訳(1969)日本の名著17),中央公論社.

(9) 南方熊楠(2003)『南方熊楠コレクション第3巻 浄のセクソロジー』(中沢新一編),河出書房新社.

(10) 中沢新一(1992)『森のバロック』,せりか書房.

(11) ストー・1992)『性の逸脱』(山口泰司訳)岩波書店.

(12) 田中貴子(2004)『性愛の日本中世』,筑摩書房.

(13) コンラッド・P,シュナイダー・J.W. 2003)『逸脱と医療化』(進藤雄三監訳 杉田聡他訳),ミネルヴァ書房.

(14) 秋田巌(2001)「心理療法と人間―Disfigured Hero試論―」『心理療法と人間関係』,岩波書店.

(15) 神谷美恵子(1993)「モレル」『新版 精神医学事典』,弘文堂.