バシャールのセッション「ストーン・スピーカー」を視聴したあと、
月や、木や、花たちと、コミュニケーションをとれないかと、月や、木や、花たちをみつめています。

(特に今、天文学的にいろんなことが起こっているタイミングでもあるからかもしれませんが)
月には、「魅入られ」ます。
 すごく、惹かれます。

コミュニケーションをとろうと思い、気づいたのですが、月とのコミュニケーションは(当たり前かもしれませんが)「言葉」で交わすものではないよな、って気がします。もちろん、結局、第三密度の人間は、なにかを表すときに「言葉」を多用せねばなりませんが、月とのコミュニケーションを「人間の言葉」で表すことは困難だろうな、と思います。少なくとも、今の自分にとっては、「言葉」という形に翻訳することは、困難だという気がします。
でも、めっちゃ、言葉にならないレベルで、「感じ」ます。
言葉にできないレベルで、「豊かに」「重厚に」感じるものがあります。(ここで、「豊か」「重厚」という言葉を使ってはいますが ^^; )
今は、その感じるものを、簡単に言葉にはならないものを、そのものとして、そのまま感じていようと思います。

第四密度以上のものを、第三密度に降ろすのではなく、
第三密度の我々が、第四密度に近づいていく、ということのほうを、自分は(やはり)やりたいのかも、と(こう、書いていて)思えてきました。
(まあ、同時に、結局のところ、その両者は同一のことでもあるのでしょうけれど。)

「言葉」を用いるとしても、その言葉は、多義的な(詩のような)(シンボルのような)言葉になるのでしょうね、きっと。

プレアデス人のサーシャが、日本の俳句は、第四密度的な感情をあらわす表現法だと(いうようなことを)、いつぞやのセッションで言っていたことが、思い起こされます。

今はただ、言葉にせず、ただ、月との「親交」を、深めていたいと思います。(^^)


(あと、自分は、月をみつめているときに感じるのと同じような「もの」を、富士山をみているときにも、めっちゃ感じます。
 富士山にも、めっちゃ魅入られます、惹かれます。
 そのうち、富士山のそばにいる時間(少なくとも数日間)を持ちたいな、と思っています。(^^) )