3月25日から3月30日までセドナに行ってきました。
今西礼子さんという写真家の方が、主催しているツアーです。
「聖地」としてセドナを巡るツアーです。

せっかくセドナを巡るのだから、やはり、「地球」や「宇宙」に感謝を送りながら(祈りを捧げながら)巡ることができるとよいと思っていたので、それを可能にしてくれた今回の旅は、素晴らしかったです。
セドナに精通している今西さんならではの(素晴らしくオーガナイズされた、気配りに満ちた)「巡礼」の旅でした。
「ツアー」と呼ぶより(5泊6日の短いものではありましたが)「巡礼」と呼ぶほうが、自分にはしっくりきます。

セドナに行きたかった理由は、
バシャールの宇宙船は、セドナ上空に滞留しており、そこから、北米大陸のエネルギー調整をしている、
とバシャール自身が言っていたからです。
セドナは、重要なヴォルテックスです。


カテドラルロックに、自分は、いちばんインパクトを受けました。
カテドラルロックは、ある「意図」をもって(その「意図」は宇宙的規模だと思います)つくられたのだろう、という気がしました。セドナのすべての場所の中で、カテドラルロックが、自分にとって、「バシャール」をいちばん身近に感じた場所でした。(それはすなわち、「自分のハイヤーマインドの存在をいちばん身近に感じた場所」、と言い換えてもよいでしょう。)

ボイントン・キャニオン、カッチーナ・ウーマンにある、インディアン・ルイーンも、また、別の次元ですが、インパクトがありました。とても落ち着く場所でした。ずっとそこにいたいような気分になりました。ここでは、一緒に参加したメンバーたちの、エネルギー表現に、心打たれました。
ある参加者が左側で祝詞をあげ、また別の人が右側で美しいメロディを口ずさんでいる中、目の前では岩つばめ達が(スパイラルを描いて)旋回している中、自分は、じっと瞑想していました。
ここにいたインディアンたちが感じていたのと同じ体験(波動)を、自分たちも、今、感じているのだろうと思いました(時間を超えて、体験を共有しているのだろう(つながっているのだろう)と思いました)。

私たちツアーの参加者たちが「一緒だった」「過去生」を思い出したメンバーがいて、その「過去生」の「話」を聞いたのですが、それもなかなか、インパクトがありました。自分自身はもう、「過去生」を「客観的現実」として捉えることはしなくなっていますが、そのメンバーの語る「過去生」は、説得力がありました。ひとつの「現実」として、かなりリアルな、訴えてくる力のあるストーリーでした。なので、ある次元において、「リアル」な「リアリティ」(ある次元において「本当のこと」)なのだろうと思いました。
自分のひとつのインカネーションは、自分の住む世界が「滅亡」したという体験をしているのではないか、という気がします。そして、そのパターンが、単純な繰り返しにならないために(新たな要素を付け加えて、「統合」というムーヴメントを生じさせるために)、自分は、今生、ここにいるのだろう、という気がします。
(※「客観的現実」と、「心的現実」(「夢」とか「過去生」とか)との区別(違い)って、本当は、存在しないんですよね。)

今西さんは、Seven Pondsという場所にも連れて行ってくれました。高さの異なる岩盤上に、泉のように水がたまっている層が、幾重かに重なっている場所なのですが、自分は、いちばん下の層まで降りて行きたくなり、下まで行きました。そこもすごく落ち着く場所でした。そこで、時間を過ごしているうちに、きれいな石が目に留まり、その石を拾い、で、その石で(チョークのように)、岩盤上に絵を書きたくなりました。六芒星と渦巻きを書いているうちに、(そこは岩が壁のようになっている場所だったので)<もしかして、インディアンが描き残した壁画があったりして>と思って、岩壁をみてみると、すぐに、動物らしき姿と、その右横に四人の人間らしき姿が描かれた絵が見つかりました。<これって、落書きかなあ>と思って、さらに少し奥のほうをみると、もうひとつ、動物の絵が見つかりました。<いやあ、これって、めっちゃ本物っぽい>と思い、上にいた今西さんに声をかけて降りてきてもらって、見てもらうと、(一つ目の絵は本物がどうか怪しいが)ニつ目の絵は、(インディアンが描き残した)本物の絵だろう、とのことでした。「過去」と今とが、つながったような感覚を覚えました。
(※写真もアップしようと思ったのですが、うまくいかないので、文章だけ先にアップします。)(そのうち、写真もアップします。)

ベルロックでは、行ける限り、上のほうまで行きました。
そこでの瞑想も、素晴らしかったです。

エアポートメサで、朝、陽の光が差し始める瞬間を体験しました。
360度の視界が開けているエアポートメサで、自分は「わの舞」を踊りたくなり、もうひとり、わの舞に参加したことのあるメンバーにそうもちかけると、そこで皆で、(私がリードして)わの舞を踊ることになっちゃいました。と言っても、自分も計3回しかわの舞に参加したことがないので、ちゃんと振り付けもわかってないのですが、そこは、フィーリングで、踊れる振りだけを、みんなに説明しながら、踊っちゃいました(※千賀さん、ごめんなさい!ってカンジです(苦笑))。インディアンたちも、踊りや歌を、このように、捧げていたのではないか、と思いながら。

「巡礼」の旅の間、自分の(人生の)「テーマ」(課題)が浮上してきていた参加者たちもいたようなのですが、私も、二日目~三日目、おさまりがついていたと思っていた自分の「課題」が浮上してきました(ひさしぶりにその課題に向き合いました)。それは苦しくもありますが(苦しみも感じますが)、自分を「バージョンアップする」ために、必要とされることなのでしょう。今なお、その「課題」に開かれた状態(vulnerableな状態)であるように感じています。

「巡礼」の旅が終わり、乗継地であるロサンゼルスの空港で、自分は(ロス市内にてバシャールのセッションを受けるために)、ほかの参加者たちに別れをつげたのですが、ひとりひとりのメンバーとハグをしながら、そこで交わされた「親愛」の感覚を、しっかりと覚えておこうと思いました。そこで交わされた「親愛」の感覚を、自分の内に、ちゃんとキープできるなら、自分の体験するリアリティは、これから、いつも、どこでも、「愛に満ちた」リアリティ(世界)になるのではないか、と思います。
今西さん、一緒に参加したメンバーの皆さん、本当にありがとうございました。