YouTube上で、下記の動画を発見。
もとはポルトガル語のビデオです。
日本語字幕をつけてみました。
(もち、自分は、ポルトガル語がわかるわけではありません ^^; ポルトガル語の英訳を、さらに日本語に訳しました。)

タコのニョッキを食べるように(たぶん、お母さんから)言われた3~4歳ぐらいかなと思われる男の子が、生きている動物を切り刻んで食べる(殺してしまう)っていう概念が、「わけがわからない」というカンジで、彼が(馴染んでいる)「考え」を(お母さんに)述べてきます。

途中、「トリを食べる人なんていないよ」と彼が言ったのは、
「彼の馴染んできたリアリティにおいては」、
実際にそうだったのだろうな、というカンジがします。

トリたちは、 面倒をみてあげる存在ではあっても、
「食べて、殺してしまう」ような対象ではなかったのでしょう (彼がこれまで馴染んできたリアリティにおいては)。

動物たちが、「立っている」のが好きだ、
と彼が言っているのも、「深いなあ」と思いました。
英語では、stay Standingと訳されていますが、
この子なりの表現で、
「あらゆる存在たちが、その存在の本来のあり方(活き活きしているあり方)を示しているのが好きだ」
と言っているように、自分には聞こえました。


(ちなみに)「やらせ」のビデオ、というカンジはしないですよね?

→母親が、途中から、涙ぐんでいるカンジだとか。

→間のカンジとか。

→途中、彼が、フシをつけて(あたかも歌うかのように)、
 「魚も、生き物(動物)だし」
 「トリも、生き物(動物)だし」
 「牛も、生き物(動物)だし」
 「ブタも、生き物(動物)だし」 と言っているところとか。
 (→彼が自発的にしゃべった言葉なんだろうな、というカンジがします)  
 (大人が、このような演出をこの子にさせることも難しいだろうし、そもそもこのような表現方法を、大人は(演出として)思いつけないと思います)

「僕は、美しいことをしたんだね」という言葉づかいが、演出っぽいカンジもしますが、「美しいこと」という言葉が、原語のポルトガル語では、どういうニュアンスなんだろうな、と思います。原語では、もっと子どもが使うような自然な言い回しなのかな、と思います。


元来「子ども」は純粋ですが、
この動画のように、ここまで「しゃべる」子どもは、
 クリスタル・チルドレンとか、
 インディゴ・チルドレンとか、
 レインボー・チルドレンとか、
呼ばれる子どもなんかな、という気がします。(各々の区別がついていない天野です(苦笑))。


ちなみに、バシャールは、これから生まれてくる子どもたちは、
「新しい世代 new generation」ではなく、
「新しい種 new species」なのだと、
述べます。
そして、
「未来」の地球に生まれてくるようになる子どもたち=「ハイブリッド・チルドレン」
の存在に、しばしば言及します。
(ハイブリッド・チルドレンがどういうものであるかは、(またまた)NEBULAさんのブログ記事をご参照ください。(と他力本願な天野です(苦笑))
 the PLANET from NEBULA
 →「バシャール:ハイブリッドの子供達」
  http://ameblo.jp/viva-bashar/entry-11714253461.html
 →「バシャール:未来の子供」
  http://ameblo.jp/viva-bashar/entry-11526871571.html )

ハイブリッド・チルドレンは、「光からエネルギーを取り入れることができるので(地球人がこれまで食べてきたような食べ物を食べないので)、食事の時間でも、静かに黙って食卓にすわっているだけでしょう(笑)」とバシャールは述べます。
また、(「失礼な表現を使って恐縮ですが」と前置きしつつ)ハイブリッド・チルドレンは、地球人が「肉」を食べるのをみて、「repugnantに感じることでしょう」とも、バシャールは述べます。
(repugnantとは、嫌な感じがする(顔をしかめる)、というような意味です。)

ハイブリッド・チルドレンは、まだ、私たち地球人達の中に、目に見えるかたちで存在するわけではないようです。
クリスタル・チルドレン、インディゴ・チルドレン、レインボー・チルドレンらは、
来るべき将来、ハイブリッド・チルドレンが地球上にやってきて、地球上で受け入れられるような素地をつくってくれている、
というようなことをバシャールは言っていました。