今日の記事は、あんまり、「スピリチュアル」なことではないですが。

この1-2週間は、本の原稿書きにかかりっきり。
書いているのはスピ系の本ではなく、「セクシュアル・マイノリティの心理的支援(カウンセリング)」というような内容の本です。
日本で「初」ってカンジの本になると思います。(^^) 
(臨床心理士向けの、セクマイへのカウンセリングについての一冊の本が、臨床心理士によって書かれるのは。)
(といっても、私が、一冊全部書いてるわけではありませんが(苦笑)。)

またまた、思ったことなのですが、
書いているうちに、スピ系の内容も、どんどん書き入れたくなってきちゃいます(笑)。
千賀一生さんの本から、引用したい!とか。(古代の性の儀式の話(シュメールの話)とか。「わの舞」のこととか。)
トーラスのことも書きたい! (けど、心理臨床の本に書くには、突拍子なさすぎ(笑))。

あと、ブログの記事にしたいと思ってて、書くヒマなくきているのですが、中山康直さんのDVDで、すぎはら美里さんっていうタレントさんがゲスト講師をしているセミナーがあるんですが、これが、とっても素晴らしい!(「男と女が仲良くなれる法則 III」というタイトルのDVDです)
(ほかの中山さんのDVDは「男女二元論」って感じの語りが主なのですが)歌舞伎町でセクマイの人がくるお店を経営していたすぎはらさんは、めっちゃちゃんとセクマイを意識した発言を(「男と女だけははない」って発言を)してくれてます。
(中山さんのほうが、このへんちょっと「垢抜けてないな」ってカンジです (^^) )
すぎはらさんのしゃべってたことも、ホントは、本の中に書き入れたかったのだけど。(やっぱり臨床心理学の枠をこえてしまう・・・。)

うむ、やはり、自分はすでに、従来の「臨床心理学」の枠にはおさまらなくなってる、ってことをめっちゃ再認識したカンジです(今さら何言ってんの??って声もどっかから聞こえてきますが(爆))。

本の中に、
「父権制社会の中で分裂させられた、聖母マリアとマグダラのマリアとは、再び、同一のものになり、ひとつの全体になることを望んでいる」
みたいなことは書き入れましたが。

"Sex"の語源は、Secareというラテン語で、「分ける」「分断する」というような意味の言葉です。
「性(セクシュアリティ)」をイメージでとらえようとすると、「結合と分離」という動きであらわせ得るようなカンジだと、書きながら、思いました。
で、その動きも、トーラスの動きの中に含まれているってカンジが、とってもしてきました。
(なに言ってるかわからんかも、ですね。すみません (^^; )

書きあげられて、ようやく肩の荷が降りた!\(^o^)/
今日、原稿を全部書き終えました。

これから、さらに、いちばんワクワクすることを、やっていこうと思います。

そろそろ、「一般の臨床心理士としての自分」と、「スピリチュアルなことにコミットしてる自分」とを、使い分けしてるのをやめにして、
「スピリチュアル」な面でも「カミングアウト」しようという機運が高まってきてるのを(自分の内の動きをみていても、外的なシンクロをみていても)感じています。

カウンセリングルームのサイトにも、スピリチュアルなこともやってます、ということを、書き入れようと、ただ今、文面、考え中。
「本当の自分」を、より表現していけること、ワクワクしますね!

手かせ足かせは、自分が勝手に作って、自分に課しているもんですもんね。

もっと自由に、もっと楽に、なりましょう。