(唐突な書き出しですが(苦笑))
「近代」になっていくにしたがって、
世界の中の、色々なものが抑圧されることになった。あるいは、「歪曲」されることになった。

そのひとつは、スピリチュアリティ。
あと、(スピリチュアリティに含まれるかもしれないが)ヘンプもそうかな。
セクシュアリティもそうですよね。

以前に、このブログでも書いたことがありますが、
スピリチュアリティの抑圧・歪曲と、
セクシュアリティの抑圧・歪曲とは、
どこかで、つながっている(通底している)ものがありますよね。

で、セクシュアリティの抑圧・歪曲の中には、
いわゆる「同性愛」のスティグマ化も含まれていると、自分は考えています。
(自分は、「同性愛者」であります。)
(※だから、このブログのタイトルも、「ホモ」ギャラクティカ(=「宇宙的ホモ」)っていいます。→もち、ジョークです(苦笑))。

近代化される以前の日本では、
(ここ、もしかしたら、「日本」にとどまらず、「東洋」とか「アジア」と言ってもいいのかもしれませんが、自分はもちろん「東洋」や「アジア」全部の状況を把握しているわけではありません)
いわゆる「同性愛」も、ある程度、フツーに存在していました。
性愛の結びつきは、(異性間と比べると少数ではあったでしょうが)、「同性間でもあること」だと、ある程度、フツーに捉えられていました。

その捉え方が、近代化された以降の日本では、抑圧・歪曲されます。
(いまだに、その抑圧・歪曲は、(程度は軽減したでしょうが)続いてますよね?)

で、話を思いっきり飛ばしますが(苦笑)、

21世紀の現在、スピリチュアル関係の本を読んでいると、
英語で書かれている本では、恋愛やセックスについて述べるとき、同性間のものも想定しているような表記になっていることが多いように(私は)思います。

日本人が日本語で書いているスピリチュアル関係の本では、恋愛やセックスについて述べるときに、異性愛だけしか想定していないような書き方のものが、多いように(私は)思います。(ちゃんと数えたわけではないですが(苦笑)。)

自分のプロフィールにも書きましたが、
スピリチュアルな観点からみて(も)、「異性愛」に対して、「同性愛」は、「マイナーなもの」といえるでしょうか。
(「少数」(マイノリティ)=「マイナー」なんかな?)
異性愛と比べると、(異性愛が「本流」で)、(子どもを生み出すことのないセクシュアリティのあり方である)同性愛は、「亜流」なものである、ってカンジになるでしょうか。

恋愛やセックスが、女性と男性との間「だけ」であり得る、って言っているように聞こえる表記に(同性間が想定されていないように聞こえる表記に)、
(本とか講演とかの中で)出くわすことがあるように思うのだけど、
これって、自分の「被害妄想」なんかな??(笑)。
(あるいは、想定しているように述べる必要が、ないことなんかな。)

(「女性(性)」と「男性(性)」の統合、っていう表現が(象徴的に?)用いられることが(スピリチュアルの領域でも)あると思いますが、
第三密度のこの地球のリアリティにおいては、
 女の人でも、
 男の人でも、
 トランスジェンダーの人でも、
 インターセックス(性分化疾患)の人でも、
(ひとりの人の内に)「女性性」と「男性性」との両方が、存在しているのですよね。)


以上、
結論がないカンジの、今回のブログ記事でした。(笑)

(「マイノリティ」当事者のぼやき、ってカンジかな、この書き込みは。(笑))
(タイトルと、記事の内容が、あんま一致していないように思えるかも??)