There is a description in one of the most ancient Japanese writing "Nihon-Shoki", which some scholars consider to be the oldest description of
"homosexuality".   I will not translate that to English as it would take too much time.  


 日本書紀の中に、日本でいちばん古い「同性愛」の記述だと言われているエピソードが出てきます。
 「神功皇后摂政元年二月」という箇所に出てくるエピソードで、神功皇后が今の和歌山県の小竹という場所に行ったときの話です。 
 (書き下し文を書いても読むのも大変でしょうから、現代語訳のみを載せます。) 

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突然辺りが暗くなり、夜のようになって幾日も立ってしまった。 
時の人はこのことを「常夜(とこやみ)行く」と云った。 
皇后は紀氏の祖である豊耳に、この怪異はなにゆえのものかと聞いた。 
するとある老爺が云うことには、「伝え聞きますに、この怪事は『阿豆那比(あずなひ)の罪』によるものでございましょう」 
それは、二社の祝者(はふりもの・神官)を、一つ所に合葬したためではないか、という。そこで村の者に話を聞きに行かせると、村人の一人がこのような話をした。 
「小竹(しの)の祝と天野の祝は、善き友でしたが、小竹の祝が病に遇い亡くなってしまいました。天野の祝は血の涙を流さんばかりに悲しんで、『生ある時に友として交わり、どうして死して同穴せぬということがあろうか』と言い残して、そのまま屍の側に自ら伏し、死んでしまったのです。それで合葬したのですが、この事でしょうか」 
墓を開いてみると果たしてその通りであった。 
これを改葬し別々の棺に納めて埋めると、すぐに日が照りだし、昼夜の区別が付くようになった。 

(宇治谷孟『全現代語訳 日本書紀 上』,講談社学術文庫,1988年,pp.196-197) 

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 親密な関係にあった二人の神官(祝者)がいるわけですが(二人とも男性であると思われます)、そのうちの一人が病死し、そのあと、彼を深く慕うもう一人の神官も彼と一緒に埋葬されることを望み、あとをおって自死します。願い通りに二人は一緒に埋葬されるのですが、その後、この地域には陽の光が差し込まなくなり真っ暗な状態が何日も続くようになります。日本書紀ではこのことを「あずなひの罪」と称しています。 

 「あずなひの罪」によって、日中なのに夜のように暗い状態が続くという(天照大神が岩戸に引きこもったときと同じような)天変地異的な現象が起きているわけですが、この「あずなひの罪」というものが一体どのような罪なのか、ということが気になります。 

 「男色」の罪ではないという説もあり得そうです。 
 系統の異なる二つの神社の神官を一緒に穴に埋葬したことを「罪」と呼んでいるのだ、という考え方もあり得そうです。
 しかし、そうだとしても、それを具体的に表現する際に、なぜ、「激しく泣いて」「屍のそばに自ら伏して死んだ」などという、後世の衆道をも彷彿させるような記述になったのかということに目を向けて考えを投じてみる必要はあるように私は思います。 

 西洋において、同性愛は、キリスト教的な「罪 sin」を、かなり歴史の初期の頃から背負わされているわけですが、古代の日本における「罪」は、キリスト教的な「罪 sin」とはかなり質の異なる「罪」だと思われます。日本における「罪」は、祓いの儀式によって祓われ、水に流されていってしまうものかもしれません。
 それでも、天変地異的な現象を起こすぐらいの「罪」が、日本最古ともいえる文献に、男色らしきものとの関連性において記されていることは、現代の日本に住まう同性愛者たちも、知っておいてよいことなのではないか、という気がします。