幼い頃から父を恐ろしい人だと思っていた。
言葉をまともに交わした事も無く、いつも酒を飲んでは怒鳴り散らしていた。
私は父が大嫌いだった。
怖くて無口で生真面目でアル中。
家には木刀があり、何かあると『木刀持ってこい‼︎』と大声で怒鳴り私達をおびやかした。
恐怖で私達をコントロールしていた。
父はACだったんだよね。。。
今ならわかるよ、ACが子を育てる時の葛藤。
しかも時代は『スパルタ流行り』の昭和の40年代。
子育てには流行りがあると思ってるのって私だけ?
星一徹のような父親が沢山いたのだよねぇー。
でもそれはそれで黙認されていた、容認されていた、ハッキリ言えば今で言う『虐待』
現代のように子供を作らず夫婦ふたりで…
という選択肢もなかったかもしれない。
子供がいないだけで変人扱いされるというか(不妊は別)、今ほど世の中全体が広い視野で物事を考えたり、捉えるということはできてなかった時代だったかもしれない。よね?
なんであんな人になってしまったんだろう。
父は頭が良かったと母親から聞かされていた。
今で言うオール5をずっととり続けていたと。○○式算式を作り、先生もいちもくおいていたと。。
8人兄弟の1番末子。
お父さんは国鉄の駅長、お母さんは通訳をしていたと言っていた。
家では1人ずつお膳に並べた食事が用意されていたという。
80年前とはいえ、かなり裕福だったのでは?とも思える。
しかし、両親が早く亡くなってしまったらしい。
小学校4年生位には両親ともいなかったらしい。
8人兄弟の末子なんてほっとかれた環境だったのかもしれないなぁーなどとも思う。
そこまで、勉学に励んで優秀な成績を持ち帰らないと注目して貰えなかったのかな?とか考えたりもする。
とにかく、世の中の事をいろいろ恨んでいたなぁ〜特に戦争を憎んでいたなぁ〜
本当にツラい思いをしたのだろうと思う(父は長崎出身、原爆の詩ばかり書いていた)
頭は良くても要領悪いタイプ?
学者とか研究者になれたら良かったのかも?
しかも結婚相手が悪過ぎた。
身体障害者の発達障害(たぶん、というか絶対)
父はもともと繊細で優しい人だったのだと思う。
そして本当に不器用だった。
『お母さんは可哀相な人なんだよ〜』と言っていた。
父とはあまり喋ったこともないけど、その言葉をよく言っていたのは覚えている。
父が認知症を患い、老健に入所してから私と母親との生活が始まるのだけれど、本当に父はよくこんな人間の○ズみたいな女と別れなかったなぁースゴイし、偉すぎる。
人格が歪むくらいツラかっただろうと思った。
やっと真実が見えたんだよね。
それまでは父親が人間の○ズだと思わされていた。
そうじゃなかったんだということを初めて知った。
まるで逆だった。
父は悪者に仕立て上げられていた。
ドップリと。
私たち姉妹は疑わなかった。
父は本当に不器用で喋ることが苦手、気持ち悪いほど不気味だったし、恐い人でもあった。
恐いんだか、気持ち悪いんだか今となってはわからないけど。。。
母親は逆に父の悪口ばかりを私たちに吹き込んだ。
父からは母親の悪口は一切聞いたことがなかった。
だけど『馬鹿に何を言っても無駄だ』と言って一杯飲み屋の酒屋に向かって出て行く姿を見る毎日だったような気がするなぁ〜。
母と暮らしてみて初めて父の気持ちはすごく良く分かったけどね。
時すでに遅しだった。
父は母のことが可哀想で別れられなかったんだろうなぁ〜って今になって理解できる。
母親が身障者じゃなかったら、もしかして別れられてた?
父は、共依存になってしまったのかもしれなかった。
『お母さんは可哀相な人なんだよ〜』ってこの言葉が全てを物語っている気がする。
発達障害者って一体何者なの⁈
理解できない。
先天性の障害というけど、ものすごく頭がいいような気がする。
私なんかよりずっと。。。恐ろしいくらい。
しかも身障者…ある意味最強だよ。。。
誰も太刀打ちできない気がする。
そんな女に添いとげ自分の人生を犠牲にした父。
別れたかったろうなぁーとつくづく思う。
私だったら耐えられないよ。
お父さん、酒に逃げなきゃやってらんなかったよね。。。
そういう人種だよね〜
悪気の無い悪人とでもいうのか。
精神的に人を殺す人種だと思う。
もちろん本人は気づいてないんだよ。
恐ろしいよ。
大丈夫…?
私、遺伝してないよね…=͟͟͞͞( ¯−︎¯ )