ふとした瞬間に、
浮かんでくる 「言葉」、「感覚」 。
受け取った言葉たちを
「メッセージ」 として綴ります。
必要な人のもとに、
必要な言葉が届きますように・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚
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貴方のその言葉 その行動
本当に 「愛」 から出たものでしょうか
● 私がこんなに言っているのに・・・
● こんなに尽くしているのに・・・
● あなたの為を思っているのに・・・
それは 「自分のため」 「自分の都合」 ではありませんか
愛から出た言葉 行動であるのならば
見返りなど必要ないのです
それを受取るや否やも お相手様の選択
お相手様が反発したとしても 嫌われる事さえ厭わないのです
そんなつもりはなかった?
無意識で悪氣はなかった?
そんな言い訳も必要ありませんよ
自分自身の不足を埋めるがために
向き合うべきことから目を背けるために
愛を隠れ蓑に お相手様をその道具にしてはなりません
今一度 自分の行ないの根源にあるのが
愛なのか
よくよく確認するのです
自らが発したものが 我が身に還ってくるのですよ
心してください
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このメッセージは、受け取る方にって、
様々な捉え方になるように思います。
ちなみに私の場合は、
『 人のことに意識を向ける暇(いとま)があるのなら
自分自身に意識を向けなさい 』
ということだなぁ・・・と思いました。
前にも記載しましたが、私は言い訳名人です。
まさかのプロ級です
自分に向き合わなければいけなくなると、
そのタイミング、その期限が近くなればなるほど、
他のことに目を向けたがります
自分の外側の世界に目を向けられるよう、
わざわざ問題を作りたがります
もう、ほとんど無意識に、そうしてきました
(現在進行形で、そのクセを軌道修正中です)
ただ、とっても有り難いことに、私の周りには
「愛ある師匠」 が、たくさんいらっしゃいます。
時に私の耳に痛いことであっても、
「 逃げてるよ 」
「 出来ない(やらない)言い訳をしてない? 」
と、ハッキリ言っていただけます。
そこには、
嫌われても構わない、という覚悟
そして、例え今、それが伝わらないとしても、
いつか、分かってくれる日がくればいい、という想い、
つまりは 「私に対する信頼(愛)」 がそこにはあります。
※あなたを信じている。 そう信じている「自分のこと」も信じている。
(少なくとも私にはそう感じます)
それに、言われた言葉が耳に痛いということは、
身に覚えがあるからなのです、私の場合は…
なんだか話が逸れてしまいましたが
自分が発していることが、我が身に舞い戻ってくる。
出したものが、カタチを変えて舞い戻ってくる。
そこにあるのが 「愛」 ではなく、「エゴ」 だっだとしたら、
それ相応のものを受け取る覚悟を以って
発していますか?
ということ。
個人的には、引き続き色々なものを手放す期間中なので、
自分が発するもの、そして受け取ろうとしているものが
愛なのか?エゴなのか?
見極めながら、手放したいと思います。
愛と、勇氣と、感謝を以って。。。