北の国では夏が長すぎて、ちっとも雨が降りませんでした。
だから、人も草も大きくなってお日様に近づきたいのに、のども地面もカラカラで、空を見ることもできませんでした。
けれどもある時、とうとう小さな台風がやってきて、うまい具合に北の国のカラカラの地面に雨が降りました。
それで、山の木々は我先にお水を吸い上げようとやっきとなりましたし、雨水はそこから逃れるように、乾いた水路を目指して流れ込みました。それらはあっという間に小川へ、川へ、勢いよく流れて行きました。
その次の朝のことです。
山にはもうもうと霧がかかり、木々は枝葉を伸ばして、まとわりつく小さな水の粒と遊んでいました。けれども、台風を追いやったお日様が出てくると、霧は大慌てでお空に昇っていきました。
ところが、山と山が重なるずっと下の方に、生まれたばかりの小さな霧が、大きな枝にはばまれてお空に昇れないでおりました。
杉の木も、楢の木も、久しぶりの水が体をめぐることが気持ちよくて、そんな小さな霧のことなど全く気に留めてはいませんでした。
霧は何が何でも空に戻らなくてはいけないのです。だって、空で友達とおしゃべりをしながら大きな雲になるのです。そしてみんなが集まって重くなったら雨になって、思いっきり高い空から地面に向かってダイビングするのです。そのスリルたるや、楽しくて面白くて、もうそれがしたいばかりに、霧は地面に落ちる前にやっきとなってお空に帰ろうとするのでした。
生まれたばかりの小さな霧はもちろんスリル満点のダイビングはまだ経験していませんでしたけれど、それでも空に自分は戻らなくてはいけないことを、ちゃんと心の底で知っておりました。だから、大きな木々の枝葉の隙間から見える空を何度も見上げてはおろおろとしていたのですが、なんだかもう絶望的なのかもと思い始めて、悲しくなってしまいました。
でも、泣いたらますますお空には昇れません。 涙になったら重くて空に上がることができないからです。
涙を落とさないように霧はまた上を見上げました。木々の隙間から見える空には、元気になったお日様が、思う存分輝いていました。霧の仲間たちはあわてて手をつなぎながらさらに高いお空に逃げていくのが見えました。小さな霧はもう自分は空の戻れないことを悟りました。
悲しさでいっぱいになって、とたんに体は縮んでいき、霧の涙はひとしずくの水となったのです。
朝露一滴がせいぜいでした。
そしてその一滴は空をつかむように不安げにはかなげに、下へ下へ落ちて行きました。
さて、その先に、枯れかけた一輪のつゆ草がありました。
森の木々は深く高く、あの小さな台風でさへ、この地面のつゆ草までたどり着くことはできなかったのでしょう。つゆ草はふるふると震えていて、長いおしべとめしべは、だらりとだらしなく垂れておりました。
つゆ草は自分の運命を嘆いていたのです。なぜ光も雨水も届かない深い森の地面に種を落とされたのでしょう。それは動物が身体に種をくっつけてしまって、ここまで運ばれてしまったからでしょうか。いえいえ、風がひどく吹いて、種は図らずもここまで飛ばされてしまったのでしょうか。何にしても、この森の底につゆ草の群れを作ろうとした一族の思惑は全く無駄なことでした。朝露が溜まり、朝日が射さなければ、つゆ草は生きることはできません。
そこに、霧の涙が滴り落ちたのであります。
つゆ草は、はっとして目を開けてみましたが、霧はもちろん消えてしまって、湿気を含んだ空気があたりを漂っているだけです。朝露を受けたつゆ草はすこしずつ元気を取り戻し、身を起こしてみると、昨夜の大風で枝ぶりが変わったのか、ちょうど自分のところに小さな木漏れ日が射しているのに気が付きました。
日の光は暖かく、つゆ草は最後の力を振り絞って、一滴の露を長いめしべとおしべで抱きしめるようにして青い花びらの中へくるみこみました。
こうして、森の奥のひんやりとした地面の一角で、つゆ草は次の種を宿して、幸せな眠りについたのでした。