食で人の人生に寄り添うということ・・・
はじめまして!
料理・買い物代行サービスのあまなつの梅原めりさです🍊
現在は、
仕事・家事・育児に毎日奮闘しているママたちの
ご自宅に伺い、
”毎日のごはんづくり”を支える仕事をしています☺
今でこそ
「料理で人を支える仕事をしている私」ですが、
ここに至るまでの道のりは決して一直線ではありませんでした。
今日は、
なぜ私が料理代行という働き方を選んだのか
その原点からお話したいと思います。
①運命の始まり・・・5歳で経験した「入院」
私は静岡県三島市で、
両親と姉の4人家族で育ちました。
5歳の頃、突発性難聴で左の耳が聞こえなくなり、
2週間の入院生活を経験しました。
当時つらかった記憶は母親と一緒に居られず、1人での入院だったことでした。
面会時間が終わり母と別れ、
消灯後の静けさに、
「早く帰りたい」と思っていた記憶があります。
この経験が、
後に"食と心"、"食と安心"を強く意識する、
最初の体験だったのかもしれません。
②中学生の私と、大好きだったおじいちゃん
私が「食」に強く心を動かされたのは、
中学生の頃でした。
だいすきだったおじいちゃんが入院してしまったのです。
今まで一度だって病気をしたり、入院をしたことないおじいちゃんでしたが、入院後、だんだんとごご飯が食べられなくなっていきました。
お見舞いに行くたび、
ほとんど手を付けられない病院食。
そして、日に日に衰弱していく姿・・・。
当時の私は、
「どうして病院の食事ってこんなに美味しくなさそうなんだろう」
「食べられないって、こんなにつらいんだ」
おじいちゃんの変わっていく姿を見るのが、辛く、悔しかったのを覚えています。
そんなある日、
私は自分で焼いた鯵の塩焼きを病室に持って行きました。
今思えば、
治療上良くない行為です。
でもその時の私は、
ただ”食べてほしい”その一心でした。
するとおじいちゃんは、
「おいしいなぁ、本当においしい」と、
何度も言って、
久しぶりに完食してくれたんです。
その瞬間、
嬉しさで胸がきゅっと熱くなりました。
自分の作ったもので誰かが喜んでくれる
食べることは、生きる力になる
人の役に立てるって、すっごくうれしい
生意気ですが、中学生ながらに
「病院のごはんは、私が変えてみせる!」
そんな使命感がこの時芽生えました。
ここが、
私が栄養士を目指す”原点”でした。
③挫折 管理栄養士の国家試験に落ちた私
④涙の前日、母とつかんだ合格
無職での半年間、勉強漬けの日々。
そして試験前日、
まさかの高熱。
「ここまで頑張ってきたのに・・・」
なんで??
悔しくて、情けなくて、
大人なのに布団の中で大泣きしました。
当日は、
母が会場まで付き添ってくれ、
冷えピタを貼ったまま受験。
結果は・・・
合格💮‼️
あの瞬間、
私の人生で一番、
「諦めなくてよかった」と思えた出来事です。
⑤管理栄養士としての10年
2012年6月、
晴れて念願だった"管理栄養士"として、
市内の総合病院に就職しました。
そこでは、NST(栄養サポートチーム)を任され、
医師・看護師・薬剤師と連携しながら
患者さんの栄養管理に奮闘する日々でした。
決して楽な仕事ではありませんでしたが、
「食べること=人の命をつなぐこと」
という実感がありました。
⑥ママになって気づいた現実
結婚し、出産。
2人目が生まれたとき、
私は初めて思いました。
「子どもがいて、家事もして、
これから仕事も・・・って
めちゃくちゃ大変じゃない??」
「母の自己犠牲って多くない??」
でも世の中では、
それが”当たり前”になっている。
「これってすごい違和感・・・なんとかならないの?」
そう思ったとき、
今までの仕事とは違う、
ママたちを助ける仕事がしたい‥
そう思うようになったのです。
⑦「家に来てくれたら助かる」その一言から
友人に
「料理代行がこの三島でできたら、良いと思うんだよね」と話した時、
返ってきた言葉、
それが
⑧私が届けたいもの
料理代行は、
ただ、料理を作るだけの仕事ではありません。
✅ご飯を考える負担
✅作れなかった罪悪感
✅ママがひとりで抱えるプレッシャー
それを手放してもらう仕事です。
ママが元気じゃないと、
家庭はまわらない。
だから私は、
ママの心に息抜きできる時間を作るそのための料理を届けたいのです。




