わたくしは常々、世を乱す左翼思想による思想的な侵略と戦える方法を考えています。
その中で先日、「相対化」という言葉を目にしました。
直観とはいえ、かなり衝撃を受けました。
結論から言えば、
左翼思想の本質は「相対化」である
という事です。
どういうことなのか。
「左翼」という言葉を知っている人もいれば、知らない人もいるでしょう。
元々は思想の方向性、偏りを示す言葉ですが、最近ではこの言葉だけでは何を指しているのかわかりにくくなっています。
これも常々書いていますが、「左翼」に代わるわかりやすい名前は無いか、と探していました。
そんな中、今回左翼思想(特に現代の進歩主義的行動)の核心を「相対化」と呼んだらどうか、と思いました。
「相対化」は、左翼思想による行動を的確かつ明確に表し、その正体にせまる言葉です。
では「相対化」とは何を意味するのか。
相対化とは、元来存在する事実・違い・規範・秩序を「社会構築物」「抑圧の産物」「時代遅れ」と攻撃し解体させ、相対的なものに格下げする思考・行動パターンです。
具体例を挙げます。
宗教的な話であれば、神社の境内で大声による他宗教の宣教が行われる場合。
日本文化の静穏や境内の意味を「排他的」と相対化し、「信仰の自由」という大義名分で肯定する。
性差であれば、男女の生物学的・機能的な違い(出産、身体的特性、脳の傾向など)を認めず、
ジェンダーはスペクトラム」「社会的に作られたもの」と相対化する。
そして「女性も男性と同じように」と結果の同一化を推し進める。
文化や社会規範であれば、日本の「和」や同調性、伝統的な家族役割を「抑圧」と相対化し、
多文化主義や多様性という名目で外部の価値を無制限に持ち込もうとする。
これらはすべて、あるものを絶対視(平等・多様性・反差別)しつつ、他のものを相対化するという非対称的な操作です。
左翼が相対化するのは、主に我が国の文化・伝統・生物学的現実・統計的事実です。
一方で、自分たちのイデオロギー(結果の平等、アイデンティティ重視など)は絶対的な正義として扱います。
これはポストモダン思想の影響が強い現代左翼の特徴的な行動だと思います。
真理や普遍的価値自体を相対化する手法を、自らの思想を優位に立たせる道具として使っているのです。
そして、これを指摘するとすぐに「差別だ」とやり玉に挙げてきます。
このような状況におけるカウンターが「相対化」です。
左翼的な行動が好きな連中は、よく「差別だ」「差別をやめろ」という声を上げる。
もちろんこの根底には、左翼思想の絶対化があります。
自分たちの基準に合わないものをことごとく「差別」という道德的レッテルで排除しようとします。
ここで「相対化」という言葉が有効になるのです。
「それは差別だ」→ 「いや、それは相対化だ。自然の事実や秩序を歪めている」
「差別をやめろ」→ 「相対化をやめろ。事実を見るべきだ」
この返しは、単なる防御ではなく、議論のフレームを切り替えることにもなります。
相手の道德的優位を崩し、事実に基づく議論へと引き戻す効果があるのです。
左翼思想を「相対化」と呼ぶのは、事実に反する歪みを正すための第一歩です。
生物学的現実、文化の機能性、歴史的事実を相対化していては、社会は持続できません。
「相対化」という言葉を共有し、冷静に事実を語る人々が増えれば、一方的な左翼イデオロギー支配から脱することができるはずです。
わたくしは、「相対化」という言葉による反撃が国と社会を改める第一歩になると思います。
日髙見 剱
もう10年くらい前からでしょうか。
何かを説明するときに、
「求められています」
という言い方をするようになりました。
正直、『何にだ!』、あるいは『誰にだ!』と怒りがこみ上げてきます。
何が「求められています」だ。
どうして「必要です」と言えないんだ?
例えば、
「今、企業には国際化が求められています。」
という文章があったとします。
一体この国際化は誰に求められているのか。
この文章の作者?
もし作者ならば「今、企業には国際化が必要です。」と書けばいい話です。
これではまるで
「私(作者)は今企業に国際化が必要だと思ってるけどぉ~、
これはあくまで私一人の意見じゃなくて、世の中のみんなが
国際化が必要だと思ってるんだから、この意見は正しいんだよね!」
という意味を隠しているとしか思えません。
そして、この意味を読み取れ、という強制とも取れます。
これはぜひともやめていただきたい。
もし自分の意見として言うのであれば、自分の発言に責任を
持つためにも「求められている」は使わずに、きちんと言い切るべきだ。
もし言い切れないようなら、そんな発言は始めからしてはいけない。
「求められていますとは、物事を決められない戦後日本人の姿そのものですよ。
こんな事をしていたら、いくら国際化といえども外人と対等になんて渡り合えません。
周りの空気をうかがうのではなく、理に応じた道を見極め、本(もとい)を示していくべきです。
日髙見 剱
かなり昔、自由律俳句に凝っていた時があります。
きっかけは、たまたまお盆に行った先の旅館に種田山頭火の俳句が書かれた掛け軸を見たこと。
わたくしはあまり俳句に詳しくはありませんが、山頭火の自由律俳句を見て
「めちゃくちゃな俳句だな。俳句って言うよりつぶやきだ」
と言ったらうちの愚弟が「山頭火は兄みたいに旅ばっかしてたよ」言いました。
それで興味がわき、山頭火のこと、自由律俳句についてと調べてみました。
山頭火、おもしろい。
もう人生めちゃくちゃ。
それでも自由律俳句を愛してやまない姿に心打たれました。
山頭火も57まで生きたんだと思うと、元気が出てきます。
日常の写真なんかをXに上げながら、わたくしも再び自由律俳句に挑戦してみようかと思います。
日髙見 剱