ふたり | カタセテロジュマン

ふたり

いけないのは、一緒に暮らしているからだ。よくないのは、同じ部屋で顔を合わすからだ。遅ればせながらにようやくわかってきた。

長い間何でもなくやってこられたのに、ここ最近うまくいかなかったのは、二人が同じ時間を同じ部屋で過ごすようになったせいだ。別々の仕事をして、すれ違いの生活をしていたころは、顔を合わすことはあっても、頭つき合わせてひとつ部屋にいる時間などなかったし、お互いの存在にある程度の敬意は払っていたはずだ。それは、ひとつには「未知」な部分が確かにあったせいだろう。

最近になって、二人はひとつの部屋で共通の時間を過ごさなければならなくなった。

もともと相容れられるような性格じゃない。過ごす時間が長くなればそれだけ、互いに知らなかった部分、特に自分にとっては否定したい相手の価値観や性格が見たいと思う以上に見えてしまう。知りたくもないことまで知ってしまう。苦い思いと焦燥感を抑え、だましだまし、互いの距離を測っているのだが、豪邸でもない家の一部屋、触った触らぬ、当たった当たらぬと次第に険悪になっていくのは当然の成り行き。理性と情念のぶつかり合い、バカと阿呆のだましあい。

ひとりが別の部屋に引きこもれば、今ひとりはせいせいしたとばかりに寛いでいる。けれど、不貞腐っていつまでも引きこもっていられる由もなし、仕事もあれば、飯も食い、糞も垂れれば屁もひる、というやつだ。

さあて、ここで、陣地交代と相成るや否や。

すわ時こそ来たれり、と河童先生よろしく傍観者の利己主義丸出しで半身乗り出し高みの見物といきたいところが、そうは問屋が卸さない。いきたくも行かずに終わる行かず後家。これがどうして、ワガミヨニフルナガメセシマニと美人を気取って歌詠みなどしてる私はいまそれどころじゃない。

仲裁はする気にもなれず、パブロフの犬も食わないなんとやら、犬だって、選ぶ権利はあらあな、と一切合財放棄して、知らぬ存ぜぬ預かり知らぬ、あとは白波こぎ出だす舟・・・・・・ってきりないから、もうやめときな。

いずれにせよ、同じ部屋に、同じ時間に寝起きして、同じものみたり聴いたりするのは、うまくない、いただけない。

どっちか出て行くか、以前のように、すれ違いの生活に戻るか、しないと、そのうち、早晩、諸共に沈没、たゆとう船、大海原の東京砂漠。