桜桃忌 | カタセテロジュマン

桜桃忌

私は太宰治が好きだ。理由は日によって変わるので詳らかに語れない(『吾輩は猫である』真似してるみたい)。

桜桃忌へ行ったので、そのことについて。

去年より、人が多かったような気がするのはやはり日曜だったためなのかもしれない。

太宰の弟子の一人小野才八郎氏が今年も『雀こ』の朗読をする。85歳。この方は総義歯でない。残存歯の数も相当ありそうだ。人の健康には口腔内管理が大きく影響するのではとまた考える。

脱線。

外国語のような津軽弁の朗読は、作品を読みながら聴いてはいけない。

音楽のように、緩急高低のその響きを耳から楽しまなければならない。

それが朗読の意味。朗読を聴くものの礼儀。


意見交換、質疑応答の時間。

強面の住職に促され初めはためらいがちに、何人かが出た後はかなり積極的に、同じ人物も二度三度、マイクを握りに会場の前に進み出る参加者。


自分の考え、意見、経験を述べた人については、一部を除いてよしとする。

質問をした者と、除いた一部の意見をしたものへ。私が回答し、更なる意見をしてさしあげよう。


①『雀こ』の朗読が素敵だったので、自分でも読んでみたい。どの本に入っているのですか?

②太宰は実朝について書きたいと言っていたようですが、ほんとうですか?

③日野原重明先生がどこかの何かに書いていた文章に太宰の晩年の作品に『桜桃』というものがあり、桜桃忌はそこに由来している、というのを知って、そういう作品があるんだと知りました。


①へ

自分で探しなさい。本屋でも図書館でも、インターネットでもいくらでも探せます。「素敵だった」という気持ちを伝えたいがために前へ出たのなら、とってつけたような理由付けは返って失礼。尋ねたほうが早い、楽、というなら、子々孫々まで、その遺伝子が不愉快なので願わくば残さないでね。

②へ

大阪からご足労様でした。源氏については関西では疎いのかもしれませんが、『右大臣実朝』読まんかい。

③へ

本末転倒。二度三度でていらして、どれほど太宰が好きかと熱烈に語ったわりには、桜桃忌の由来を日野原先生から教わるとは興味の本質がお粗末。それじゃ質問。河童忌は?


ここまで、と思ったけど、もひとつ思い出した。

「私は『ヴィヨンの妻』がいちばん好きな作品です。ヴィヨンというのはフランスのなにか、あれらしいんですが・・・」

と発言したものへ。

フランソワ・ヴィヨンを知らずして、『ヴィヨンの妻』を好きとは笑止千万。私もこの作品が最も好きだけれど、すたこらサッチャンとなって、ほかの作品好きに転向しようかしら。


次。

振るったもの。

一。後追い自害した田中英光と太宰の関わりを知りたい。

ニ。『グッドバイ』を執筆した頃の太宰の様子はどうだったのか。

三。創作の際、津軽弁で思考したか否か。普段津軽弁を使ったか。どんな声だったか。


記憶にある限り、それに対してのその日の返答を記します。

一。
津軽へ尋ねていった田中は太宰に連れられていった湖で泳ぎが達者であることを披露、後に作品を三度手直ししてやったら、「芸術は運動ですか」というような返答でいささか参ったらしかった、ということを他の弟子たちに語った。自害については、墓前ではなく、勝手口に倒れこんできたので、駅前の病院まで搬送、そこで絶命したとのこと。
ニ。
田植え休暇に太宰を訪ねると、千草に行こうということになった。歩く途中で、「おーい、お嬢さん」と太宰が手を上げて合図した。
店に着くと、やがて先ほどの女性がやってきて、同席した。次の年、やはり田植え休暇に太宰を尋ね、千草に向かった。途中で、こんどはただ手を上げて合図した。二人の関係が先年より近いものだと感じる。店に着いて三人で飲み食い話した。その間に何か一度座を外した太宰が戻ってきて、二人の横を通って店の小窓を開けた。目と鼻の先に隣家があるにもかかわらず、そこから放尿した。店の女将は「やきもちやいてるのよ」と囁いたという。自分のいないところで、弟子と女が談笑しているところをみて、嫉妬したのだというのだ。それが、入水の10日前。女は心中の相手だった。
三。
創作の際の思考にあたっての使用言語は太宰が言及していないので不詳。一度自分が、「灰」を「あく(津軽のその地方では、燃え殻の灰も『あく』、灰汁もまた『あく』と言うとのこと:またはあぐ」と書いたときに、太宰は「それは『はい』と書いたほうがいいよ。」と言った。しかし、太宰は自身の作品中、子守のタケの言葉については逆のことがあった。子供や病人に箸やスプーンで少しずつ飯やら何やらを食べさせることを「養う」と書いて「あ(ん)づかう」というが、なぜ、そこにルビをふらなかったか、津軽人としては少し残念に思う。
酒を飲むとよくしゃべるひとだった。なんともいえない、いい感じの人だった。酔っ払って、座敷で足をばたばたやって転がるような楽しい人だった。自分たちと話すときに津軽の言葉で話すことは全くなかった。声は特にどうということもない普通の声だと思う。


そうよ、こういうことを聴かなくっちゃ。
こういうことは、調べて調べられることとそうでないことがあるんだから。
直接聴けることは、直接学べること。
誰かの書いた何かの文献の誰かを通した誰かの感動の続きでなく、全く直接ではないにしても、太宰の真実に触れて感動したり、或いは憤ったりできるんだから。そして、それをきっかけにまた、次の知識への興味と欲求が生まれたりするんだから。


以上、全て私の記憶なので、当日の発言者にその思考の独自性の権利はあっても、その是非を問われるべき責任はないのであしからず。


付録。
会がお開きになった直後、小野氏に挨拶に行った男へ。
「名まえはどんな字ですか?」
なんか失礼じゃない?著作だってあるし、これまた調べればわかること。
何でもすぐ人に聞けばいいっていう考え、文学文芸に少しでも興味あるなら、改めた方がよくはなくって?


最後に。
太宰文学を人々がどのように受け止めているかを知りたい、特に若い人の感じ方を知りたいと言った小野氏の発言を受けて前に進み出た若者の話。
「僕は、太宰の作品を読んで、理想を求めて、生きていくことが大事だと思いました。」
というわけで彼は入学考査に対しての偏差値の高い大学を蹴って、自分の理想とするもう少し偏差値の低い大学に入って友人たちから、馬鹿者扱いされているらしい。


私は、思う。
「蹴って」と思うなら、それは、あなたの理想はその偏差値の高い大学だったんじゃないの?
蹴るもなにも、自分がしたいことは、やっぱりこっちの大学の方がより適している、と思ったんなら、「選んだ」ってことじゃないの?
初めから一番は偏差値の高い大学って、自分も周りも思ってるってことじゃないの?
な~んて、屁理屈、頭の中でこねてみたり、太宰治の作品で「理想を求めることの大切さ」を知る感性、私には皆無、と感心してみました。


桜桃忌。
来年は平日だから、これで最後かも。
『雀こ』の朗読を聴くことももうないかも。
墓前の読経が始まったとき、たくさんの人がいて、見ず知らずの人がこんなにたくさんこの法事に集まってるのか、と思ったら、なんだかこみ上げるものがあったのは、私の少女趣味とそして、もしかしたら、父の墓参にも行かないくせに、という後ろめたい気持ちがあったからかもしれない。


桜桃忌

注:「養う」の発音については私にはそう聞こえただけで正確なところは不明、調査難航中