前回の記事に引き続き「クリムト展」の中編です。

 

 

 

 

『ユディトⅠ』 1901年


グスタフ・クリムト(Gustav Klimt)作

 

 

 今回の展覧会のチラシにも使われているこの作品は、クリムトの「黄金様式」時代の代表作の一つです。油彩画に初めて本物の金箔を用いた作品とされており、額縁はクリムト自身のデザインによるものです。黄金様式の名にふさわしい、まさしく光り輝くような作品ですね。豪華絢爛な装飾の中に描かれたユディトの官能的な姿に思わず引き付けられてしまいます。
 
 ユディトとは信仰心が強く美しい未亡人であり、祖国を救うために敵の司令官・ホロフェルネスの首を切り落としたという何とも過激なエピソードを持つ女性です(旧約聖書外典の「ユディト記」より)。クリムト以外にも様々な画家がこの主題を描いていますが、これほど官能的な魅力を持ったユディトは他に見たことがありません。
 
 自らの美しさを利用してホロフェルネスに近づいたというエピソード通り、女性がもたらす危険な誘惑を表現するため、これほど扇情的に描かれているのかもしれません。恍惚としたユディトの表情と開けた胸元、物のように抱えられたホロフェルネスの首。ゾッとするような光景なのに美しく幻想的で、目が離せなくなる作品です。
 
 
 
 
『人生は戦いなり(黄金の騎士)』 1903年

グスタフ・クリムト(Gustav Klimt)作
 
 
 1894年、クリムトがウィーン大講堂の天井画制作の依頼を受けた際、描いた作品が大学側の提示したテーマに反するとして大論争が巻き起こりました。この論争の後、クリムトは保守的な権威と決別し、ウィーン分離派(クリムトは初代会長)が結成されました。「人生は戦いなり」というタイトルから推測すると、そういったクリムトの心情がこの作品には反映されているのかもしれません。
 
 正方形のカンヴァスいっぱいに描かれた黒い馬と黄金の鎧をまとった騎士。馬に跨る騎士は直立不動で躍動感はほとんど感じられません。馬の目が描かれていないことや、作り物のような騎士の姿が少し不気味であり、どこかおとぎ話の世界のような雰囲気も感じられます。画面の下部に見られる金の装飾はクリムトが工芸で学んだ技法が活かされています。琳派などの日本美術の影響を受けたと言われているクリムトらしい装飾です。
 
 
 
 
『アッター湖畔のカンマー城Ⅲ』 1909-10年

グスタフ・クリムト(Gustav Klimt)作
 
 
 個人的にクリムトには風景画の印象がほとんどなかったのですが、今回の展覧会では数点が展示されていました。彼が風景画を描くようになったのはウィーン分離派が設立された後のことで、その多くはバカンスの間に制作されたもののようです。19世紀末、オーストリアのザルツカンマーグート(美しい湖水地方として有名)にあるアッター湖は避暑地として多くの芸術家から人気のあった場所でした。
 
 最初にこの作品を見た時、何だかトリミングしたような構図だなと思ったのですが、後から調べてみると望遠鏡を使って描いたものだと考えられているそうです。風景の全体像ではなく一部分をクローズアップして描いているという感じでしょうか。城というよりは赤い屋根と黄色い壁のポップな家という印象ですが、点描で細かく描きこまれ、自然と建築物が違和感なくまとまっている作品だと思いました。
 
 
 
 
『オイゲニア・プリマフェージの肖像』 1913-14年

グスタフ・クリムト(Gustav Klimt)作
 
 
 こちらは展覧会の会場である豊田市美術館が所蔵している作品です。ウィーン工房の主要なパトロンの一人、銀行家オットー・プリマフェージの妻がモデルとなっています。「ウィーン工房」とは建築家のヨーゼフ・ホフマンとデザイナーのコロマン・モーザーによって設立された工房で、彼らはクリムトと同じくウィーン分離派に属していました。
 
 目にも鮮やかな黄色の背景とカラフルなドレスを着たプリマフェージ夫人。画面の右上には東洋的なモチーフも描かれています。こういった色彩や東洋的なモチーフはクリムトの後期における特徴のようです。また、クリムトはプリマフェージ夫妻の娘も描いています。今回の展示作品ではありませんが『メーダ・プリマフェージの肖像』はピンクを背景とした可愛らしい少女の肖像画で、こちらも私の好きな一枚です。
 

後編へつづく