タイトルの表記がリュック・ベッソン監督の映画と同じですが、記事の内容とは全く関係がありません。単純に最後の「i」を小文字にするという綴り方が好きなだけです。悪しからず。

桜通で銀杏並木の写真を撮っていると、フレームに一台のタクシーが滑り込んだ。私はほぼ無意識に、反射的にシャッターを切った。それは特別、斬新な構図でもなかったが、家に帰ってからモノクロにレタッチしてみると、何となく好きな雰囲気の一枚になった。
この記事でタクシーにまつわる話を書いてみようと思ったのだが、普段タクシーを全く利用しない私にはこれといったエピソードがなかった。思い出せたのは、残業明けの深夜タクシーと、母と京都観光したタクシーと、伯父の葬儀の帰りに乗ったタクシーの事くらいだった。
そういうわけでここからは創作の話を書きたいと思います。お時間ある方は最後までお付き合いください。
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僕達の関係は冬を迎える事なく終わった。まるで暖炉の火が消えるような静かな終わり方だった。僕は彼女をこれっぽっちも恨んでいなかったし、彼女は僕をこれっぽっちも憎んでいなかった。傷つけあう事に疲れてしまう前に、彼女は僕の元を去っていった。
それは取引先からタクシーで会社へ戻る途中の事だった。秋は終わろうとしていたけれど、風のない暖かな午後だった。無口なドライバーの運転は彼の性格を表すかのように静かだった。心地良く伝わってくる振動が僕の瞼を自然と重たくした。
タクシーが交差点を曲がり、ガラス越しに銀杏並木が広がった。まどろみの世界に半分身を置いていた僕の目にその景色が、色が鮮明に飛び込んできた。そして急に思い出した。タクシー、銀杏並木、心が溶けていきそうな暖かい午後。
“ねぇ、少し歩こうよ”
そう彼女が言って、僕らはタクシーを降りた。駅へ向かう途中だった。二人、手を繋いで銀杏並木の中を歩いた。青い空と、黄色い銀杏と、無機質なビル。温かい彼女の右手と、どこか嬉しそうなその横顔。やがて駅に着いて・・・僕たちはそこからどこへ向かおうとしていたのだろう?
流れていく景色を横目に、僕はその先の記憶を思い出そうとした。でも、途切れたフィルムのように、その先の映像が呼び起こされる事はなかった。雲を掴むような僕たちの関係の中で、残された記憶はほんの些細な一時だけだった。
街ですれ違った人と同じ。電車で隣に座った人と同じ。私たちは何万回と繰り返される出会いと別れの一つに過ぎない、と彼女は言った。僕もそうだと思っている。
それでも彼女が完全に記憶のひだに埋もれてしまうまで、もう少し時間がかかりそうだ。彼女を思い出さなくなるまで、もう少し。タクシーは街を滑るように走っていく。いつの間にか銀杏並木は姿を消し、僕は彼女のいない世界に戻った。