“自分の成功は友人の犠牲の上に成り立っていた。僕は、彼の大切な夢を奪ってしまった”
 
 ハンスに再会してからしばらくの間、デューラーは深い自責の念に捕らわれていました。「少しでも彼に償いたい。自分に何か出来る事はないだろうか」という気持ちに動かされた彼は、もう一度ハンスの元へ向かいました。家のドアを小さくノックしてみましたが返事はありません。しかし、家の中からは微かに声が聞こえ、人の気配が感じられます。
 
 デューラーは恐る恐る鍵のかかっていないドアを開け、部屋に入りました。すると、ハンスが静かに祈りを捧げている光景が見えました。デューラーの訪問にも気づかず、絵が描けなくなってしまった手を合わせて、一心不乱に彼は祈っていたのです。
 
“デューラーは私のために傷つき、苦しんでいます。自分を責めています。神様、どうか彼がこれ以上苦しむ事がありませんように。そして、私が果たせなかった夢も、彼が叶えてくれますように。あなたのご加護と祝福が、いつもデューラーと共にありますように”
 
 ハンスは、きっと自分を恨んでいる。そう思っていたデューラーは耳を疑いました。友人が自身のためではなく、僕のために祈ってくれている。ごつごつとした、歪んでしまった手を合わせ、真っ直ぐに祈ってくれている。デューラーは友人の祈りにじっと耳を傾けていました。そして祈りが終わった時、デューラーはハンスに懇願しました。
 

“お願いだ。君の手を描かせてくれ。この手のおかげで、今の僕がある。君の、この手の祈りで
 ――――― 今、僕は生かされているんだ”
 

 1508年、こうして『祈る手』は描かれたと言われています。何だか童話のようになってしまいましたが(苦笑)大体の経緯はこんな感じです。また、デューラーが友人の仕送りで絵を学んだというのは確かなようですが、そのきっかけは「どちらかが働いて、どちらかが絵を学ぶ」という賭けをデューラーが友人に持ちかけたからだ、という説もあるようです。
 
 細部に違いはあると思いますが、デューラーが自分を支えてくれた友人の手に心を打たれたのは本当だろうと私は思います。また、自分の夢が絶たれても友人のために祈りを捧げたハンスの想いも本当だったのだと思います。家族でもない誰かのために、何年にも渡って厳しい労働に耐え、お金を送り続けるなんてそう出来る事ではありません。
 
 ごつごつとして決して見栄えが良いとは言えないハンスの手を、デューラーは「美しい」と感じたのではないでしょうか。友情や感謝の気持ちだけでなく、彼の手にはきっと、画家を引き付けるだけの「何か」があったのではないかと思います。
 
 私は『祈る手』を初めて見た時、それが炭鉱労働者の無骨な手だとは気づきませんでした。ただ静かで、真に迫る「祈り」そのものだと思っただけでした。デューラーが描いたハンスの手。あなたには、その手がどんな風に見えますか?
 
 
 
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『祈る手』 1508年

アルブレヒト・デューラー(Albrecht Durer)作