「写真、撮ってもらっていいですか?」
 
 観光地の撮影スポットなどに行くと、自分と同じように観光をしている人達からよくそう声をかけられる。学生のグループ、カップル、年配の団体さんなど、年齢や性別はバラバラだ。しかしなぜか、家族連れにはほとんど頼まれたことがない。たぶん、お父さんが子供の写真やビデオを撮るのに夢中になって、自分を含めた写真を第三者に撮ってもらうという発想がないからなのではないかと思う。
 
 台湾に旅行した時も、龍山寺で一人旅をしているらしい東南アジア系の男性に写真を撮ってくれと頼まれた事があった。彼はとても気のいい青年で、私が彼の写真を撮った後に「君たちも撮ってあげるよ」と言って私のカメラで写真を撮ってくれた。「Thank you」と言って別れた後、カメラを片手にとても楽しそうに観光していた彼の姿は今でもよく覚えている。
 
 他の人がどれくらい経験する事なのかはわからないが、行く先々で(おそらく結構な頻度で)写真を頼まれるのは何故だろうと考えてみた。私はそんなに人が良さそうな感じでもないし(どちらかと言えば冷たい感じがすると思う・・たぶん)、他にも写真を頼めそうな人がたくさんいる場合は特にそう思う。もしかして私はよっぽど暇そうに見えるのだろうか(笑)
 
 ある時、写真を撮って欲しいと頼まれる理由は、私がカメラを持って歩いている事と関係があるのではないかと思うようになった。それも大きなレンズのついた一眼レフではなく、スマートフォンに押されて希少種になりつつあるコンパクトデジタルカメラ。「この人、写真にはそんなにこだわりがなさそうだけど、カメラの使い方は知ってそうだな」と思われているのではないだろうか。
 
 プロっぽい人に頼むのは何となく気が引けるが、軽い感じで写真を撮っている人には頼みやすいという心理が働いているような気がする。渡されるカメラは大半がコンデジで、たまにミラーレス一眼、昔は携帯電話を渡してくる人もいた。相手が日本人なら「はい、チーズ」とか「じゃあ、撮りまーす」と言って私はシャッターを押す。外国人の場合は「3, 2, 1, smile」。このフレーズが正しいのか疑問だが、今まで相手に怪訝な顔をされた事はない。
 
 
 私は人から頼まれる以外で、人物の写真を撮る機会はほとんどない。ブログに写真を載せる事が多いので、むしろ人物が写り込まないように気を付けている。人が多い場所はどうしようもないが、後ろ姿だったり、顔が判別できないくらい小さく写るように距離をとったりして、見る人に人物が風景の一部だと捉えられるような感じに工夫している。
 
 そういうわけで、観光地で頼まれる誰かの記念写真は私にとって貴重なポートレート撮影ということになる。「あの建物をバックにお願いします」という類の注文ぐらいしか受けないが、出来る限り背景と人物が綺麗に写るようにカメラを構える。1枚か2枚、写真を撮った後に液晶画面でそれを確認してもらい、OKが出たら自分からその場を立ち去る。
 
 カメラの向こう側にいる人達の表情は様々だ。楽しそうに変なポーズをとる学生グループもいれば、恥ずかしそうに微笑む初々しいカップルもいる。モデルのように慣れた笑顔を見せる女性二人組もいれば、卒業写真のように綺麗に整列して少し緊張したような面持ちの年配の方々もいる。私は一呼吸するぐらいの間で、その風景と表情を彼らのカメラにおさめる手伝いをする。
 
 数日が経てば、私は写真を頼まれた事などすっかり忘れて暮らしている。何かの拍子にその出来事を思い出したとしても、彼らの顔までは覚えていない。それは相手にも言えることで、街ですれ違ったとしても気づかないし、おそらく、二度と会う事もないのだと思う。
 
 しかし、私の記憶が彼らに残らなくても、私が撮った写真は残る可能性がある。出来れば残しておいてくれるといいなと思う。いつかその写真を見て、彼らはその旅の事を、一緒にいた人の事を思い出す。
 

 “あの日は本当に楽しかった!”
 
 “この後で喧嘩しちゃったんだよね・・・”
 
 “俺らバカな事してたよなー”
 
 “あぁ、何だかすごく懐かしいわ”
 

 そんな溜息や微笑みと共に、写真は色んな事を思い出させてくれる。それが有り触れたどこにでもあるスナップ写真だったとしても、この先の人生のどこかで、もう一度彼らの目に触れる時が来ればいいなと思う。そして私は、自分が撮った写真が誰かの思い出の欠片となっているかもしれないと思うと、少しだけ幸せな気分になるのである。
 
 
 
 
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