七夕についての最初の記憶は幼稚園の時。折り紙で飾りを作り、短冊に願い事を書いて竹に飾った。自分がどんな願い事を書いたのかは忘れてしまったが、その時の光景は割とよく覚えている。おりひめとひこぼしの物語を知ったのもその頃だ。幼稚園の先生が絵本を読んでくれた記憶がある。
 
 物語の詳しい内容は知らなくても、おりひめとひこぼしが「年に一度しか会えない二人」であることはほとんどの人が知っていると思う。その二人が年に一度、天の川を越えて会える日が七夕で、この物語はロマンチックな悲恋の象徴のようになっている。
 
 何秒か前に「悲恋」と書いたが、改めて考えてみればこれは悲恋なのだろうか。二人は一生会えないわけではなく、年に一度会うことを許されたのだ。どちらかと言えばハッピーエンドのような気もする。最初にこの物語を知った時も、悲しいという感情はほとんどなかった。
 
   *
 
 これは、私が大人になってからどこかの誰かに聞いた話である。
 

「そうして年に一度、おりひめとひこぼしは天の川を越えて会うことを許されたのでした。おしまい」
 
「お母さん、おりひめとひこぼし、可哀想だね」
 
 女の子は悲しそうな表情で母親にそう言った。
 
「可哀想?」
 
「だって、年に一度しか会えないんだよ。もし、お母さんと年に一度しか会えなくなったら、すごく悲しいもん」
 
 母親は静かに絵本を閉じ、優しく微笑んで女の子に言った。
 
「うん。そうだね。でも、おりひめとひこぼしは大丈夫。お星さまはね、人間よりずっとずっと長生きなの。何百年、何千年、何万年と生きるんだよ。だから、二人は何度だって会うことができる。私たちが毎日一緒にいるより、ずっと長い時間を二人で過ごすことができるんだよ」
 
「そっか。たくさん一緒にいられたら、悲しくないね」
 
「うん。さぁ、短冊に願い事を書いて、明日一緒に飾ろうね」
 
「うん!」
 

 記憶が曖昧な部分は私なりに加筆した。端的に言えば、これは物語によってもたらされた娘の悲しみを母親が優しく拭ってあげたという話である。
 
 家族と恋人ではニュアンスが違ってくるかもしれないが、毎日一緒にいることが大切なのか、例え会えない時間が長くても、お互いを想い合うことができればそれでいいのか。正直、私にはどちらがいいのかよくわからない。
 
 毎日一緒にいるからこそ生まれるものもあるし、滅多に会えないからこそ得らるものもある。逆に、毎日一緒にいることで失うものもあるし、滅多に会えないから手の届かないものがある。どちらにしても、いや、どんなことに於いても、良い面と悪い面は両方存在する。
 
 そう考えると、おりひめとひこぼしはやっぱり幸せな二人なんじゃないかという気がしてくる。何光年と輝く星であるという前提条件ではあるが、長い間会えなくても、何度だって会うことができるのだ。宇宙で星が輝き続ける限り、何度だって。
 
   *
 
 今夜、私の住んでいる街から空を見上げても、たぶん星は見えないだろう。特別ロマンチックなことは求めてないし、星に願い事をするような年齢でもなくなったけれど、「あぁ、今日は七夕か。おりひめとひこぼし、仲良くやってるかなぁ」と、心の隅で思ってしまう自分がいる。
 
 ベガとアルタイルがミルキー・ウェーを挟んで輝く日。一体どれくらいの人が、夜空を見上げて星を探すのだろう。7月7日。みんなが一斉に夜空を見上げる日。それはそれで、二人の恋よりロマンチックな気がするのである。