“頤和園(いわえん)”の前身となったのは1750年、乾隆帝が母親である崇慶皇太后(孝聖憲皇后)の還暦を祝い造営した清諸ハ園。1860年に英仏連合軍によって破壊された後、西太后が巨額の海軍費用を投じ7年かけて再建した。湖と楼閣宮殿を合わせ290万㎡に及ぶ壮大なスケールである。

上の写真は観光の起点となる東宮門。

東宮門を抜けると次は仁寿門が。


“仁寿殿(じんじゅでん)”とその前にある麒麟の像。麒麟は神聖な幻の動物で、形は鹿に似て大きく、顔は龍に似て、牛の尾と馬の蹄をもち、雄は頭に角をもつと言われている。

西太后の愛用の展示品の中にあったベンツのオープンカー。

3層造りの北京最大の京劇舞台“大戯楼(だいぎろう)”。京劇好きの西太后はここで観劇を楽しんだ。舞台は地下から3階まで貫通していて、登場人物が天界へ飛翔する演出が行われたという。

“楽寿堂(らくじゅどう)”という西太后の居室だった所にあった木。よく見ると枝が竜の爪のような形をしている。中国が原産で“エンジュ”という種類の木らしい。中国では“竜爪樹”と言われているそうだ。

“青芝岫”と呼ばれる中国最大の庭園石。“敗家石”とも呼ばれている。明の官僚だった米万鐘が青く霊芝に似たこの石を見つけ、自分の家に運ぼうとしたが、その途中で財産を全部使ってしまい、最後まで運ず道に捨てられたという話からこの名がつけられた。その後、乾隆帝が江南からの帰途でこの石を見つけ、大変気に入り、巨大な資金を投じて頤和園まで運ばれたという。