米軍資料に見る徳之島空襲(32) | 鹿児島県奄美諸島の沖縄戦

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 6月1日は、「早朝より敵機多数来襲、午后二時より空爆はげし」(「徳之島空襲日記」65頁)という状況だった。
最初に来襲したのは、空母「ベローウッド」を午前5時48分に発進した第30戦闘飛行隊のF6F8機(500ポンド爆弾2発を装備)だった。午前7時に飛行場に到達して爆弾16発で攻撃した。11発が命中して、滑走路と誘導路に穴を開けた。
 2番目に来襲したのは、空母「ベローウッド」を午後12時に発進した第30戦闘飛行隊のF6F8機(500ポンド爆弾2発を装備)だった。午後2時30分に飛行場に到達して爆弾12発で攻撃した。12発が命中して、滑走路と誘導路に穴を開けた。
 3番目に来襲したのは、沖縄読谷飛行場を午後3時に発進した、第311海兵戦闘飛行隊のF4U7機(ロケット弾8発を装備)だった。亀津に午後3時30分に到達し、亀津をロケット弾48発で攻撃し、全て命中したが損害は目撃出来なかった。これが沖縄本島を発進した編隊による徳之島への最初の攻撃だった。
 3番目の空襲に対する、日本側の被害の記録はない。完全に集落を攻撃目標にしており、何の目的で攻撃したのか疑問である。
 3日は「敵機八機午前中旋回して去ったが、夕方飛行場を空爆した」(「徳之島空襲日記」65頁)と記されている。
この日来襲したのは、空母「インディペンデンス」を午後1時に発進した、第46戦闘飛行隊のF6F8機(500ポンド爆弾1発を装備)だった。午後2時の喜界飛行場攻撃の帰途、徳之島飛行場と飛行場の南に停泊している小型船、徳之島南端の建物を機銃掃射して、火災を起こした。この日が空母艦載機が徳之島に来襲した最後の日となった。
 6日は、「爆音はあったが爆発音はなかった」(「徳之島空襲日記」66頁)という。
 この日来襲したのは、沖縄読谷飛行場を午後7時に発進した、第542海兵夜戦飛行隊のF6F2機(ロケット弾6発を装備)だった。目標に午後八時に到達し、徳之島の対空施設をロケット弾8発で攻撃し、8発が命中して損害は目撃なかった。
 亀津では「夕食後北区に行く途中東方海上に照明弾が上り、爆弾の投下と機銃掃射の音がある」(「激戦下の徳之島」32頁)と記録されている。正確な時刻は不明だが、この時の空襲の可能性がある。おそらく飛行場は攻撃目標ではなかったのだろう。
 7日は「終日爆音なし」(「徳之島空襲日記」66頁)だった。亀津でも空襲の記述はない。
 だがこの日も夜間空襲があった。来襲したのは、沖縄島読谷飛行場を午後10時30分に発進した、第543海兵夜戦飛行隊のF6F2機(爆弾1発・ロケット弾6発・照明弾1発を装備)だった。徳之島に午後11時15分に到達し、徳之島地域を攻撃し、爆弾2発とロケット弾11発が命中したが、損害は暗闇のため目撃出来なかった。
 9日は「夜間は空爆があった」(「徳之島空襲日記」66頁)。また亀津では、午後2時頃に4機の機銃掃射で浜の茅が発火し、「午後より交互に空襲を受けた」(「激戦下の徳之島」32頁)という。
16日の記述だが「米軍は陸軍機と艦載機を伴い大編隊にて攻撃することになり」(「激戦下の徳之島」33頁)とあるので、陸軍機も飛来していたことが分かる。おそらく昼間飛来したのは、沖縄の飛行場を発進した陸軍機かもしれない。
 報告書で確認出来るのは、夜間空襲である。最初に来襲したのは、沖縄読谷飛行場を午前0時15分に発進した、第542海兵夜戦飛行隊のF6F2機(ロケット弾6発とナパーム弾1発を装備)だった。目標に午前1時に到達し、飛行場を銃撃し、命中は正確だったが損害は不明だった。
 2番目に来襲したのは、沖縄嘉手納飛行場を午後7時20分に発進した、第543海兵夜戦飛行隊のF6F2機(爆弾2発・ロケット弾12発を装備)だった。飛行場の滑走路をロケット弾10発で攻撃し、2つの小火災が起きた。
3番目に来襲したのは、沖縄嘉手納飛行場を午後11時に発進した、第543海兵夜戦飛行隊のF6F2機(爆弾2発・ロケット弾12発を装備)だった。徳之島の岸から約4分の1から2分の1マイルに燃えている明かりを攻撃し、ロケット弾8発が命中したが、明りは消えなかった。飛行場の滑走路を攻撃し、ロケット弾2発が命中したが、損害は目撃出来なかった。