下町・秋津探偵社

作:おきくら 周(あまね)

 

No,33

 洋平との面会を終えて、花巻駅へとタクシーで向かうその途上、秋津は失踪した佐野と旧蓼科病院との因果関係が、当初考えていたよりもずっと深かったことに驚いていた。先ほど、洋平から聞いたばかりの話は、偶然と言ってすませらることなのだろうか。というより、佐野の人生の時系列からいえば旧蓼科病院との関わりの最初の始まりとでもいえるではないか。秋津は洋平に、これまでの佐野の失踪に関わる経緯と警察で捜査中の殺人事件との関わり、そして、その可能性についての概要を話した。

 

洋平はたいそう驚き「既存の興信所による弟の捜索状況のことは、当初から確かに私たちで情報は共有しておりましたが、その報告では、失踪前の弟の様子は少し触れられていた程度で、殊更に疑問視するようなこともなく、しかし、まさか、弟が最後に関わっていたその病院が、華が急送されたと同じ旧蓼科病院だったとは・・・」永杉が秋津の下で口述した廃病院での出来事は、先の二社の興信所の報告書には(廃病院の探索に興じる、あるいは肝試し云々)と記されてあるのみで、それ以上の詳細な説明もなく、つまり、それは敢えて取り立ててみるべき事柄とも思ってはいなかったということなのだろう。

 

そして、更に洋平は佐野の大学生時代の親友、当時の竹島竜二についても語った。「竹島くんとは、随分と親しくしていたようで、私が遠野の実家に立ち寄った際にも、大学が休みに入り帰郷してきた功が青森へ帰る途上の竹島君を連れてきていて、若者らしいとりとめのない話題に二人して随分と盛り上がっているといった場面をよく目にしておりましたが、しかし、あの竹島くんが、そんなことになっていたとは、全く知りませんでした。弟は何故私たちに、そのことを黙っていたのでしょうか。

もしかしたら、遡って弟が東京に就職したこととも、何らかの関係があるのでしょうか?」

 

洋平は、そもそも佐野が家業を継がずに、東京の商社に内定が決まったと報告に来て、実家には戻らないと急に宣言し、父親や親戚筋の者たちを大いに慌てさせたことを秋津に話して聞かせた。佐野の本心は今となっては分からないが、記述の通り、彼が茨城の大学へ入学し、時を経ずして華が急死した。その後、大学院を終了して東京の商社へと就職した。

 

一方、竹島は大学院には行かずに、卒業後は一足早く東京に出て念願の映画会社での職に就いていた。両者の友人関係は変わりなく続いていたと思われるから、その彼の死すら無言に秘していたのは、そこに何らかの意図があったと理解する方が、恐らくは自然ではなかろうか。

 

それにしても、華が夭逝して18年余りが過ぎて、次には竹島が亡くなり、程なくして佐野本人が蒸発した。そして今度は、同じく友人であった冬木の死と、それぞれが何かの連鎖の中にあったのだとすれば、その猶予の時間の不規則性が、この出来事の関わりを分かり難くしていたが、しかし、これらは交誼の友人らが、旧蓼科病院という同じ覆いの裡にいつの間にか囲い込まれ運命を抗す間もなく落命(及び消息不明)したということだ。秋津のなかで、佐野兄弟と強い繋がりがあった“華”の存在を得て、その過去へと長い時間軸が広がるのと同時に、あの建設現場の白い無精髭の男から聞いた(因縁話)が、まさに、その容量を俄かに増大させていくのを感じていた。

                                  (No,34へつづく)

 

注)物語は、一部の場所・人物をのぞいては、全てフィクションです。

 

ぱぱ日記

また、ちょっと書けた分を載せました・・・

もうすぐ梅雨ですね。皆様、健康には、くれぐれもご留意くださいね。

 

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30年間の経済低迷の原因は、財務省の硬直化した緊縮財政にあった。

(今や、これは沢山の経済専門家その他から、指摘され始めました)