下町・秋津探偵社

作:おきくら 周(あまね)

 

No,14

浅草南警察署で新しい帳場がたち、貴司をはじめとする捜査員たちが街に出て捜査を開始しだした頃、秋津もまた今回の案件に向けて動き始めていた。永杉の供述を受けて、まず、中野区の旧蓼科病院を訪れてみた。今は、もう病院の建物は既に存在しなかったが、その空き地には新しい建設予定のイメージ図が掲げられて建設の準備作業が始まっていた。仮の囲いが掛けられ始めているが、その隙間から中を覗くことができるので現場の様子を窺いつつ掲示板に表記されている施工主と建設会社と建設予定日などの既成の情報を確認した。

 

秋津は表のコンビニで購入しておいた缶コーヒーやお茶のペットボトルなどが入ったコンビ二袋をぶら下げて轍の凸凹が残る砂利道を踏みしめながら、敷地の出入り口付近に置かれた事務所内で昼休み中の従業員に近づいていった。開け放した引き戸付近に座って喫煙し雑談している数名の従業員らのうちの一人が(うん?)といって秋津に気が付き振り返った。「すみません、ちょっと宜しいでしょうか」と秋津の開口一番に胡乱な表情を浮かべていたその男に向かい「まあ、どうぞ」と秋津は持参したコンビニ袋と自分の名刺を手渡した。

 

「おう、いいのかい?」と、一瞬にして表情を緩めた男はそれを受け取った。「で、何が聞きたいんだい」と手渡した名刺をチラリと見ながらそう言ったので、秋津は早速「こちらは以前の建物の解体工事も手掛けられたのでしょうか」と聞いてみた。「いや、うちは建設施工のみで、前の建物解体は中央建設だったな」男はそう答えると、もらったばかりのお茶のボトルの蓋をあけて一口それを含んだ。「中央建設?」と秋津は繰り返した。

 

「ああ、株式会社中央建設というこの都内一帯を主エリアとしている大手の解体専門業者のことだよ。うちが、ここの建設施工を請け負ってはいるが、解体の方は、もう今から4~5年も前にそこで取り壊されて更地に戻されたんだよ」男がそういうと「なるほど、4~五年前ですか」と秋津は頷き、さっき目にしたばかりの建築物のイメージ図が描かれた看板に目を移しながら「ところで、この跡地は重慶寺のいわゆる立体墓地となるようですが、これは随分とまた立派な建物ですね」と、その六階(地下2階)建ての荘厳な完成予定図を指し示した。

 

「まあ、ここは江戸時代から続く寺だからね。それなりの佇まいだが、とはいえ宗教法人主体の民間霊園の寺で、これまでの檀家制度も今は人口減少などの問題も手伝って、お寺経営も厳しいようだよ。だからだと思うが、最近のお寺さんは永代供養にしても宗派にはこだわらないってところが随分増えてるみたいだしね」、今時の寺事情として、これからの新世代の最低限の供養を考えた対策の一つなのだろうと秋津も思っていた。確かに昨今は、地方の過疎化や少子化などで檀家においての墓の引き継ぎ手などが困難になりつつあり、寺の存続も危ぶまれる例も増えていると聞く。

 

新しい世代の需要を喚起する意味でもこれまでの墓参とは異なる形を示していくことは極めて重要なことなのだろう。「そういえば、最近は新聞広告にも業者が提案する新しい埋葬方法として、樹木葬や海洋散骨なども紹介されていますね」それらは、寺と販売管理を委託された企業の新展開の一部なのだろう。それらの埋葬方法は、通常の墓を引き払ういわゆる墓じまいの後を寺の永代供養に頼るところとなる。秋津は現在日本の意外な墓事情とこれからの家族の絆の在り方に一抹の不安を覚えた。

 

「まあ、ここは元々が病院だったが」と先ほどとは別の男も会話に加わってきた。「見た通り寺に接した立地というのと、おまけに近隣は民家よりもオフィスの方が圧倒的に多いんで左程の反対運動もなかったらしいよ。こういう施設やセレモニーホールなどの葬儀場関連を計画する時点で、通常は地元住人からの激しい反対運動が挙がるものなんだがね」と、自らの経験を思い起こすように呟いた。

 

すると、最初に話し始めた男が、その話に乗るように「そうそう、俺の地元は北関東ののどかな地方の町だけど、家の近くに、こっちは私立の総合病院の計画が立ち上がったんだが、どういうわけか反対運動があっという間に広まってね。結局、白紙撤回させちまったんだよ。人口が二万人ちょっとの町でね。どうやら土着の老人たちが中心になって必死に抵抗したらしい。この手の話には、よくありがちな怪文書まで飛ばしてね。まあ、町の有力者は現役の老人ばかりだから、よそ者が入ってほしくないとか日常を変えたくないとか、まあ、いろいろとあったんだろうがね」

 

しかし町の今後のことを考えれば、やっぱり近くにある程度の規模の総合病院が整っていたほうが、老齢化が進んでいく町にとっても安心要因の一つとなり、それが呼び水ともなって人の移動を変えてゆくかもしれないという若い世代のそんな将来の期待もあったのだろう。この男も、その若い世代に入るのであろう、彼らの住む町の経済的な先細りを懸念し多様な産業施設を誘致することで近接する他府県や市町村からの人流を増やしつつ税収につなげていこうとするその目論見は、しかし、なかなか思いどおりにはいかない内部事情を吐露したようにも聞こえた。どこの地域にもこのような新旧の相克はあるものなのだろう。

 

「ところが皮肉なことに、この町を含めた近隣の町でも高齢者人口の偏りは止められず、今度はセレモニーホールの需要を見込まれて、これらの葬儀場が1km以内に2施設、隣町も含めれば数施設もできちまったんだよ」と、少し薄ら笑いを浮かべながら「高年齢化が進む田舎の都市で最初に需要が見込まれた病院は町の爺さんたちに建設阻止されちまったけれども、お次の葬儀場までは止めさせることができなかったというわけさ。まあ、人生の最後に関わる、所謂、最終産業ってやつだが、これが、今一番の成長産業にもなっているらしいな」

 

それは、明らかに自分の町の老人たちへせめてもの皮肉とも受け取られる言葉だったが、秋津は、敢えてその男に共感する素振りは控えた。それは、複数の人物の前で話を訊く際の注意すべき心得で、その人物に心ならずも反発の意思をもつ他者もここに同席しているかもしれず、秋津の態度如何では、せっかくの証言の意思を飲み込んでしまうという恐れも、稀にはあることなのだ。だから敢えて中立的な態度を崩さなかった。

                                                                                          (No,15へつづく)

 

 

注)物語は、一部の場所・人物をのぞいては、全てフィクションです。

 

 

トピックス)最近、心にささったことで、「ペンキ画家」のshogenさんのお話しです。

アフリカにアートの勉強に行ったときのエピソードですが、現地の村の長老から預かった日本人へのメッセージ。