灰色の相克(仮題名)

                                作:おきくら 周(あまね)

No,10

  永杉が事務所を後にしたのは、商店街を彩る灯りが人々の顔を程よく赤らめながら、さて、2件目3件目はどこの酒場を訪ねようかと思い巡らしそぞろ歩く、そのような時刻になろうとしていた。“即位礼正殿の儀”は既に恙無く終わり、しかしその余韻は、まだ、どこかに残っているようにも感じられる。昼間の雨天からのあの鮮やかな虹への転換を目にしてしまえば、新年号の先行きを占う瑞兆であると誰もがそのように感じていたのかもしれない。

 

「みどりちゃんお疲れ」と秋津は、いつもより長い時間を突き合せてしまった埋め合わせに夕食を奢ると言って、みどりを連れ出し事務所の外の階段を下りて商店街へと出た。行き交う人々の祝日気分の名残に触れて、今日は新天皇を世界に宣言した歴史的一日であったことを秋津も思い出した。「そういえば・・・」と、みどりは秋津に尋ねた。「あの、世間では、この10月のことを神無月っていってますよね。こんな月になぜ、陛下の宣言が行われたのでしょうか」と。

 

それは、みどりが言うように、考えてみれば奇妙なことではあったが、秋津は、「それはね」と、その疑問に答え始めた。「これには諸説あるのだが、その一つに、そもそも旧暦10月を出雲では、神な月(かむなづき)と呼んでいて、神の月(かみのつき)と言う程の意味合いで本来は、五穀豊穣を神に感謝するものであったらしい。

 

しかし、いつからか10月に出雲には神々が集うのだから、これを神在月(かみありつき)とし、であるなら、世間では神のいない月、神無月とする俗解が広く伝わり今日に至るらしく、本来の意味とは多少異なっていったらしい」「えっ、そうなんですか」本来の意味と違うという秋津の解答はさすがに意外だったらしく、みどりを驚かせたようだった。(もっとも、日本国中の神が出雲に集まった後の神たちの留守を務める神もいるということで、これもまた面白い俗説である)

 

 

しかし、そういえば日本に文字が伝わったころには、漢字の意味が体系化された現在とは違い当時の日本語に中国語の漢字の読みを当てて表記したらしく、例えばこの場合であると本来は古代読みの『かむなつき』を漢字で示すために神無月とし、この『無』とは、『な』で単に当て字として使っていたと何かの読み物でも見た気もした。

 

更に秋津は「そして、もう一つの説は、そもそも神無月(神在月)とは大国主系の国津神の神事であり、現天皇の祖、天照系の天津神の神事とは別物であるともいわれることもあるらしい」それらの説明にみどりは「ああ、なるほど」と深く納得したように「秋津さん博学ですね。凄いわ」と、ちょっと大袈裟に言うと「なに、庄吉の受け売りだよ」と素っ気なく秋津は答えたので、「ああ、」と再び呟くと、思わず笑いながら「ウフッ、確かに専門家ですよね」と今更ながら秋津の幼馴染で浅草神社の神主を生業としている榊庄吉のことを思い出した。

 

時折(毎月1日と15日)、事務所に来ては、その神棚の御神酒や榊を新しいものに置き換えていくのも庄吉の仕業であった。とはいえ、このぐらいの事ならば庄吉のようないわゆる専門家にわざわざ尋ねることもなく、今どきインターネットで幾らでも検索して解説を求めることができるのである。一定の認識の範疇であればそれで十分であろう。現にみどりも自らのスマホを取り出して”神無月”と打ち込んでみた。「本当だ、秋津さんのいった通りだ」と呟くとちょっと舌を出して肩をすぼめたのは、たった今、自分で聞いておきながら、秋津の目の前で、これはさすがに無礼だったかもと思い至ったからだった。

                                 (No,11へつづく)

注)物語は、一部の場所・人物をのぞいては、全てフィクションです。