下町・秋津探偵社

作:おきくら 周(あまね)

 

No,3

 狭い階段を急いで昇りきり、事務所の呼び出しチャイムを押すと、木製のドアが静かに開き事務員らしき若い娘がその陰で待ち構えていたかのように、「ようこそ、おいで下さいました」と永杉をタイミングよく迎え入れながら来客の到着を奥の主に告げると「応接間へお通しして」という声がした。おそらく所長の秋津であろう。実のところ、今日の永杉の訪問時間は当初の取り決めよりも大幅に遅延してしまっていた。これは、永杉側の仕事上の影響によるものだった。急遽、秋津に連絡をいれ、改めて、別の機会に変更してもらうつもりでいたのだが、当の秋津から「こちらは、遅くなっても一向に構いませんよ」と、快く約束の時間変更に応じてもらったのが、今から3時間前の事であった。 

 

先ほどの若い娘が自らを「事務員兼秘書の結城みどりです」と名乗り永杉をワンルームの奥の一角へと案内した。壁際にビッタリとつけられた肘掛のへたったチェスターフィールドの三人掛け用ソファーは狭い場所を余計に狭くしているように思われたが、しかし座り心地は悪くはなかった。膝元には華奢なローテーブルが配されていたのだが、重厚なソファーとは全く対照的にアンバランスでチープな気がしたが、要するにこれらは何処かで個々別々に使われていたのであろう、不用品を持ち寄りソファーセットとしている感は否めなかった。

 

このような一部のアンバランスはあるものの、しかし、部屋の内部全般は概ね掃除も行き届いており小奇麗にはしているようではある。事務所の出入り口から数歩入った中柱には簡素ながら神棚も祀られており、主神の神宮大麻は勿論、あの日、喫茶店で見た浅草神社のお札もキチンと納められていた。やがて、事務員のみどりが淹れたての2人分のコーヒーをトレーに乗せてやってきた。「どうぞ」と、それらコーヒーカップの一つを永杉の手元に置きシュガーとフレッシュの容器もそこに添えると、湧き上がる芳醇な香りが永杉の鼻孔を拡げた。

 

「インスタントですけど」とみどりに不用意に言われて「あっ、はぁ...」と答えた自分がちょっと間抜けたような気がしたので、すかさずニコリと取り繕うような笑みを浮かべてはみたものの、僅かな時間差が生じた分それはそれで妙な気もした。その直後「ああ、気にしないでください、この娘の口癖ですから」と入れ違いに入ってきた秋津がその様を見ながらそう言った。「以前は『しろばら』・・・いや、一階の喫茶店からコーヒーを取り寄せていたのですが、アルバイトが辞めてマスター1人になってしまったので、今は自前のコーヒーをここで淹れています」と、にこやかに告げるとローテーブルの対面に、これまた不統一な籐椅子を曳いてきてその上に無頓着に腰掛けた。

 

「冷めないうちにどうぞ」と自らコーヒーにシュガーとミルクを注ぎながら永杉にもそれを勧めたが、永杉は開口一番に「本日は、誠に申し訳ございませんでした」と大幅に時間を変更させた不手際を先ずは詫びた。秋津は、いえいえと言う素振りで、「どうか、気になさらないでください。ご覧の通り時間はどうにでもなる個人会社ですので」と、言われ、「はあ、恐れ入ります」と申し訳なげな永杉に、秋津は再びコーヒーを勧めた。促されるままに永杉は、「では、遠慮なく」とまだ熱いコーヒーの上部をゆっくりと注意深くすするようにしながら咽喉に流し込んだ。

 

その様子を机上のモバイル越しから注視していたみどりは、いたく満足気であった。余談ではあるが、永杉が、昨日のアポ取りの際耳にした秋津の口調は、どことなく聞き覚えがある気がしていたが、先ほどから彼の顔を直接に目の前にすると、やはりどこか、声から感じられた時と同じく、テレビドラマなどでよく見かける某俳優に似ていると再び思った。それにしても、声と顔の印象が時間の差を経ても同一の人物を連想させるというのも珍しいことではあるが、実際に人の顔の造作、鼻孔・口腔内の容積などが近ければ声質も似てくるという論証もあるようだ。が、しかし、その某俳優の名前が永杉にはどうしても思い出せないでいた。勿論、初めての対面である。そんなことをのっけから口に出すのはさすがに控えた。                                                  

                                         (No,4 へつづく)

 

注)物語は、一部の場所・人物をのぞいては、全てフィクションです。