どうも、

新米社長あままきですおにぎり

 

自分のこと「社長」とか言うの本当におこがましいのですがこうした方が分かりやすいのかな、と思って恥ずかしながらそうさせてもらっています。
 
 
 
 
 
 
 
突然ですがここで私のプロフィール。
ご興味ない方はどうぞスルーしてください。
 
 
 
 
 
では、早速。
 
 

 

 

  幼少期

 

ギャン泣きの七五三

 

 

神奈川県の田舎町で生まれ育ちました。


地方出身の方に「神奈川出身」というと都会のように思われますが、そんなことありません。


私の地元を走る電車は単線で4両しかなくドアは押しボタン式です。


家族は両親と兄と色々な動物。


両親は共働きだったので3歳から保育園に通っていました。

 

 

 

 

  小中学生時代

 

この頃の写真加工は手書きでしたよね笑

 

 

小学校4年くらいから祖母の痴呆が始まり祖父母も一緒に暮らし始めました。


兄は反抗期となり、母は色々なストレスでヒステリックに。


家の中はカオスでした。


そんな状況を私は俯瞰的に見ていてお金があれば自由になれる、家族や学校の校則にも縛られず、誰にも依存せず自分の力で生きていきたいと思い初めていました。


だから、親や先生の言うことは聞かなかったし友達とも必要以上に群れることが嫌いでした。


友達からも、この頃の私はどこか冷めていて怖かったと言われます。

 


この頃からファッションにも目覚め始めました。


派手なファッションで自分を表現したり、注目を集めることが好きでした。

 

 

 

 

  高校生時代

 

衣装は手作りでした

 

 

中学を卒業してすぐにバイトを開始。


高校入学時から卒業後はファッションの専門学校に行くと決めていたので学校は出席さえしてれば良いと思い勉強よりもバイト優先でした。


部活は軽音部でゆるくギャルバンドを組んでいました。


担当はボーカル。さすが目立ちたが屋です。笑


この頃初めての彼氏もできましたが一瞬で別れたので恋愛とも言えないあまり思い出したくはないで思い出です。笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  文化服装学院時代

 

涙の卒業式。
来ているジャケットは前日に徹夜して作りました。

 

 

高校卒業後は希望どりファッションの専門学校、文化服装学院に入学。


この2年間が人生で一番辛かったです。


地元では自分はファッションセンスがあると思っていたのに東京の専門学校にはもっとすごい子たちが沢山いる。


でもそれに負けたらいけないという気持ちもあり自分を出すことができなくて友達もほとんど出来ませんでした。


毎日寝る時間もないくらい課題に追われバイトする時間もないのでお金もなく、要領も悪く、センスもなく、友達もおらず、高い学費を出してくれた親に弱音を吐くわけにもいかず、毎日通学電車の中で泣いていました。


今思えばこの頃の私は鬱状態だったと思います。
 

それでもなんとかギリギリで卒業は出来ました。


劣等生だった私ですがアパレル業界で就職する時には文化服装学院を卒業したと言うだけで一目置いてもらえたりするので、今では文化服装学院を卒業して本当に良かった、自分よくやったと誇りに思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

  アパレル勤務時代

 

この証明写真でよく採用されたな、、、

 

 

 

文化服装学院を卒業後、大手アパレル会社の販売員として就職し地元のデパートに配属になりました。


もともと販売員希望ではなかった私は1年でその会社を退職。


その後、色々な会社と職種を転々としました。


その頃20代のギャル笑だったので恋愛も色々経験しました。


クラブで出会ったラッパー、バイトしていたキャバクラのお客さんと不倫、ワンナイトラブなど色々あり、、、


そして不倫の恋に疲れ果てた頃、最初に就職した会社で出会った同僚が私のことを好きでいてくれて数年ぶりに再開し、付き合うことに。


その彼とはお互い結婚も視野に入れて同棲もしていました。


しかし、アパレル業界は残業が多く、しかもお給料は安く、心身共に疲れた私。


彼との仲は良かったですが結婚への具体的な進展がなく日々の生活に飽きてしまった私は30歳を目前に韓国へワーホリに行くことを決意


そしてそれを機に同棲していた彼氏ともお別れをしました。

 

 

 

 

  韓国時代

 

家から徒歩圏内にあったLINEストア

 

 

4年付き合った彼と別れ、身よりもない韓国へ。


韓国語もほぼ出来ないし貯金もほとんどなかったのによく行ったと思います。


最初の頃は友達もいなかったので寂しくて辛い時もありましたが、自分で決めたことなので弱音は言いませんでした。
(あ、嘘です。寂しさからすぐに韓国人の彼氏を作って弱音吐きまくってました笑)

 

お隣の国なのに文化が違うことも沢山あってショックを受けることもありましたが、日本で当たり前だと思っていたことが当たり前じゃないということに、良い意味で視野が広がりました。


韓国人の彼とも3人お付き合いしまして、それも韓国語の上達や文化を知るのに良い経験だったと思っています。

 

結果的には、すごく良い経験ができたし、韓国語も話せるようになったし、韓国で出会った友達とは今でも連絡を取ったりしているので本当に行って良かったです。

 

 

 

 

 

  現在

 

コロナ禍中に撮った婚活写真。高かったので葬式でも使うつもり。

 

 

韓国での就労ビザを失効したことにより、3年半住んだ韓国を離れ日本に完全帰国することに。


その時も韓国人の彼と付き合っていたので遠距離恋愛を続けるつもりでいましたが、帰国後、結局別れてしまいました。

 

そして派遣社員とし大手IT企業で勤務。


なぜ正社員ではなくあえて派遣にしたかと言うと、2年だけ日本で働いてお金を貯めるのと、海外でも仕事に困らないスキルを身につけて、また韓国に戻ろうと思っていたから。


そう思って通信制の大学で日本語講師の資格を取得しようと入学しましたが、仕事をしながらレポート作成するのが辛くなり1年で自主退学。

 

その後、韓国にいた頃からやってみたいと思っていた茶道を習い始めました。


日本文化を学ぶことも海外で役に立つと思ったからです。


茶道は今も続いていて、これからも続けて行きたいし、将来的に茶に関わる仕事をしたいと思っています。

 

 

そんな中、世の中はコロナ禍になり韓国でまた暮らしたいという熱は冷めて行きました。


漠然とした将来への不安から婚活エージェントにも登録してみましたが、人をスペックで判断したりされてりするが嫌で結局数ヶ月で退会してしましました。

(婚活エージェント高かったのにね、、、)

 

と言うわけで現在も謳歌しております。

 

 

 

 

そして仕事では約5年派遣社員として勤めたIT企業を2022年8月で退職し2022年11月に株式会社を設立。

 

中学生の頃からの夢だった、誰からも縛られず【自分の好きなことで稼いで自由になる】を実現すべく日々奮闘しております。

 

 

 

 

こんな私ですが、これからも暖かく見守りください。